[コメント] コンタクト(1997/米)
日本人には理解されにくい傑作
カールセーガンは宇宙の神秘を科学的に、主観を排し、徹底した客観的な態度で「自然」を観察するという職業柄、ジュディ・フォスター扮するところの主人公にはかなりの自分の影を投影させている。原作と一緒にこのシネマを見るとかなりの興奮がえられよう。カール・セーガンは書いている。「もうすぐに宇宙の神秘は解かれるであろう」と。しかも、すぐの未来に・・・。この映画はそういう、彼の宇宙の神秘のベールを解くための、かなりのヒントがかくされている。特に、牧師の彼との会話の中に、クライマックスの裁判での、「どう考えても理屈では説明できない**体験**」について伏線がはられている。その科学では分析できない「体験」を一番否定し、一番嫌った筈の、ジュディにとうとう、涙とともに、いわせているあたりがしびれる。文学しか読まない日本のインテリ、科学しか理解しない日本のインテリにはこの映画はわからない。月まで行って、地球をみただけで、「何かがひらめき、何かを信じる」、パイロットがたくさんいる。映画はただおもしろけばいいというものではないだろう。「セーガンに捧げる」と言う言葉でこの傑作はしめくくられる。
(評価:
)投票
このコメントを気に入った人達 (6 人) | [*] |
コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。