[コメント] クイール(2003/日)
監督は「動物映画」の何たるかを勘違いしている。仔犬のクイールがかわいいのでおまけして★3。[ヤクルトホール (試写会)]
**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。
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まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
本作は、犬であるクイールの一生を描いている。つまり、主人公はクイールという犬であり、人間たち(盲導犬利用者、訓練員)は脇ということになっている。
しかし、動物、特に犬を扱った映画では、「犬が」人間をどうこうする物語ではなく、その逆、つまり「人間が」犬に関わるというものであるべきなのだ。なぜかというと、映画は人間が作り、人間が観るものであるからであり、そしてそもそも観客は犬ではないので、犬の人生(犬生?)にピンとこず、感情移入しがたいからである。
その点で言うと、この映画は、渡辺が亡くなった時点で終わるべきであった。そうすれば渡辺という人間がクイールから得たものが、どれだけかけがえのないものだったか、観客にはっきり伝わっていたはずだったのだ。
しかし、その後のクイール(盲導犬協会に戻り、さらにパピーウォーカーの家に戻る)の話を付け加えたことで、単にその部分が蛇足だというだけではなく、この映画全体が「犬が」人間に関わる話になってしまったという、大失策をしでかしているのである。
このため、渡辺が亡くなったところでウルウルときた観客は、「渡辺さんなんてどうでもいいもんね」とでも言わんかの如くに、クイールの余生がさらに延々続くので、盛り上がった感動が再び萎んでしまうという、中途半端な状態に置かれてしまうことになる。
監督は「犬は人間の主人ではない」ということを、肝に銘じていただきたい。
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