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[コメント] 死に花(2004/日)

脱力系からアイドル系にかわりデスメタル系をはさんで癒し系だけど、切ない・・・んだけども決して酷くないので寺内貫太郎まんまの演技をした小林亜星が気になる存在やけども、青島の存在、都知事と意地悪婆さんのイメージ先行気味が祟って、エロさ共々森繁翁の貫禄勝ち。
ジャイアント白田

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







「雨降って地固まるを雨降って爺固まると思わせようとしているな?それも友情が固まると深読みさせる気だ。俺なら爺固まる=死だけどな。」と、ちょっと不謹慎なことを思った人はかなり映画に集中していなかったと思う(=俺)

ビバリーヒルズ顔負け、閑静な段ボールハウス街にひっそりと潜む17億円が皮肉で、カタルシスとまでは少々物足りないけれど、「お金」を自分の溜め込んでいる「何か」に置き換えると溜飲下がる。溜め込むのではなく、しっかりと老廃物ははき出さないと腸がはち切れ身体に悪影響。

17億が段ボールハウスに置かれている意味を最初の単純な解でいくと、日本社会における金を抱えたまま死んでいく老人の多さ、精神的孤独死の惨めさを描いているような気がした。あそこに人が横に並んでおらず、鍋が煮えているだけがあるので、より一層の惨めさが味わい深い物になっている気がする。鍋を囲む人がいない違和感は、大量にお金を残して死んでいく姿が根底にあって、庶民にとっての違和感につながる感じがする。

二つ目の解は、あの段ボールハウスの老人がお金を置いて、外に出て、桃の看板を見ているところから出た。お金よりも大事な物、夢=生きている証。最初らへんのシーンに、退屈が怖いから云々と山崎努が演じた老人が語っていた言葉と、老人ホームの入居費用の額面が伏線だとすると、あの老人にとってはお金が重要ではなく、桃が重要であり、桃が“流れてくる(=動き)”ことを見届けるのが重要だった。それつまり、生きていることを実感することが生きる上で一番大事ってこと。

お金が目の前に、そして通帳に載っていたとしても、それを見ることで自分が生きていることを実感できない。止まっている静物なら実感できないではないか。それは青島の老人が女性を抱きつくことで生(性)を実感している点と人工呼吸の心臓が“動き”始めるシーンに、しっかりと描かれいていると感じる。また、違った側面から、棺桶に二人が入っていたシーン、彼女が彼に先立たれることで生きることが実感できなかったのを描いており解に肉付けしている気がする。穴を掘ることもストレートに生きる事の実感となっていることも重要だ。それにしても、森繁翁の老人が生きる支えである家族を失い悲嘆に生きていたのは胸を刺された。先立たれる苦しみは時間で癒すのではなく、人と関わり合って癒し死んでいくのが自然な姿だろうと痛感。生きていることを実感し感動して生きるには人と関わり合って動いていることでなされるのではないかと思うのは、余命長き若者の机上の空論か。

有名な言葉に「人間の一生というのは金を残して三流、仕事を残して二流、人を残して一流」というのがある。ラストが特に反映・・・というよりも話の流れが、バイアグラを使わず、コノ言葉に沿って描かれており好感が持てた。アノ爺たちは映画のなかで200歳ぐらいまで長生きしそうな一流の老人よ。先に死んでもあとに続く人がおるし。

2004/07/08

(評価:★4)

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