[コメント] スパイダーマン2(2004/米)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
◆前作同様、トビー・マグワイアの演技が『サイダーハウスルール』なのが可笑しくもあり、ハマリ役感もあり。
◆ワタシとて内外のヒーローモノは決して嫌いではありません。むしろその逆なんですが、日頃常々感じているのが、国産ヒーローモノアクションの見せ方と、ハリウッド製のそれとの違い。前者は、なんだかコスプレしてる普通のヒトタチが、なんとなくちまちまと練習した型どおり闘っているんだなぁとしか感じられません。別に変身してようがしてまいが、一般人とどう違うの?っておもいませんか。まぁ玩具メーカーのしがらみがあるとはいえ、見た目(静止状態)のかっこよさに走るあまり、肝心の超常パワーの魅せ方がてんでなってないと思います。これは決してCGだからとか予算がどうこうというものではないでしょう。 対してスパイダーマンはどうでしょう。そもそもヒーローがそこにはまることによって成立するシチュエーションの設定が絶妙。ライバルに壁にたたきつけられ、石壁は砕けても本人はちょっとダメージがあるぐらいで平気とか、体を張って電車を止めようとしたときに、体が電車に押しつけられてガラスが割れたり、ボディが「メキッ!バキッ!」とひしゃげたりする描写には感涙を禁じ得ません(でも糸を電車本体に固定させれば......)。Dr.オクの異形感にテクノロジー信仰への警鐘みたいなものも見て取れます。「そりゃフツーの人間には無理だろ」感や「ヒーローすげぇ!」感を存分に堪能させてくれました。
◆ピーター・パーカーの使命は「ヒーロー」たることでした。しかし彼は、目の前に横たわる役割の困難さと、責任の重大さにたじろぎ、愛する女性と暮らしたい、楽な生活を選びたいというエゴの誘惑にいったんは負け、その持てる超常の力をも失いつつありました。しかし、危機に陥ったMJを救いたい、守りたいという意識に目覚めたとき、ヒーローとして生きていく肝をくくり、能力を発揮することが出来たのです。さて、「ピーター」のところは自分の名前、「ヒーロー」は仕事、「MJ」は彼女とか子どもとか家族とか信念とか、とにかく自分の大切なものを当てはめれば、この映画がとてもとても普遍性あるテーマを語っていることがわかるはずです。たとえ今は凡庸な人生をおくっているワタシであっても、「ああ、俺の人生これでよかったんだな」と思わずにはいられない作品でありました。
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