[コメント] ゴジラ(1954/日)
この時代、日本人一般から映像媒体に求められたのは「日本人」が闘う姿であった。また一方では、戦後の経済の繁栄に溺れる日本と日本人に憤懣を感じる右派、左派が少なからずいたのも事実だろう。そんな敗戦後の日本にあって、怪獣もの、戦国ものは、両者の要求を満足させる恰好の映画の素材であったように思う。
本作では設立されたばかりの自衛隊(注;作品中では自衛隊と言う表現は確か出てこない)の陸海空3軍が順番にゴジラに攻撃を加える。当時、「ゴジラ」で戦う日本軍を観た外国人はどう思っただろう? 決して倒せる相手ではない脅威だからこそ日本軍の攻撃は表現として正当化される。
しかし、ゴジラが非現実であるように、米軍の介在しない大規模自衛・戦闘行為がありえないのも現実。日本人のみによる日本人の為の国防、これは当時の日本人の悲願だったのではないだろうか? 以降、現在に至るまで日本を襲撃する怪獣ものでは、米軍ではなく日本軍(日本人が演じる防衛軍)が立ち向かうことが定番となった。
『ゴジラ』と『七人の侍』 両作ともにGHQ支配から解放された(GHQによる検閲がなくなった)年に、闘う日本人を描いた映画である点以外に、時代の足音を思わせる不気味な効果音から始まる共通点がある。
朝鮮戦争(〜1951)の特需景気により日本は高度経済成長まっしぐら。 経済的に豊かであればそれでよいのか? 「(七人の)侍」に象徴される日本人としての誇りはどこに行ってしまったのか? ゴジラは大きな足音をたてながら、そんな日本の危うい足場を揺るがし確かな足跡を残した。
両作に出演した志村喬は、一方では相手を理解しようとし、一方では戦闘の指揮をとったように対照的な役柄であるものの、それぞれが軍や侍ではなく、科学者と百姓の視点をベースにしている点は、メッセージの矛先が戦争に向かわないようにした配慮が伺える。
余談ながら、自衛隊が戦闘行為を行ったのは、国内の治安出動も含め、数年前(1999)の北朝鮮の工作船事件のみである。 ほぼ同じ日に、ドイツはNATO軍の一員としてユーゴスラビアへの空爆という形で戦後初めて戦闘行為に参加し、イタリアもユーゴ空爆の飛行路と飛行基地を提供したことにより間接的ながら戦後初めて戦闘行為に参加した。奇妙な偶然ながらこれが現実である。 自衛隊を復興支援目的で派遣することには多くの批判が出る日本も、実際の戦闘行為では、マスコミは言葉を慎重に選びほとんど批判しなかったことも忘れてはならない。
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