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[コメント] カンフーハッスル(2004/中国=香港)

監督の「俺は功夫映画が好きなんだ!」という思いはビリビリ伝わってくるのですが、監督自身が主役を張ったというのがちょっと割り切れない思いにさせます。
甘崎庵

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







 香港映画ほど流行に敏感な映画界もない。ハリウッドで何か変わったものが流行ったとなると、あっと言う間にそのバッタもんが作られるし、たまたま香港映画で世界が認めたものが出てしまったら、あっと言う間にその亜流ばかりとなってしまう。よって香港の主流映画というのは時代によってころっと変わってしまう。

 70年代は『燃えよ!ドラゴン』(1973)を始めとするブルース=リーの活躍があって世界的功夫ブームが起きたため、香港映画は功夫映画一色となり、70年代後半から80年代前半にかけて『クレイジー・モンキー 笑拳』(1978)を始めとするジャッキー=チェンのコミカル功夫が流行ったとなったら、それ一色に。更に80年代後半で『霊幻道士』(1985)や『チャイニーズ・ゴースト・ストーリー』(1987)によって幽霊ものも流行った。更に90年代になって『男たちの挽歌』(1986)を皮切りとしたジョン=ウー監督の出現で現代物のハードボイルドものが。新世紀に入ってからはCGを使った格闘もの…節操がないが、これが香港映画の力でもある。亜流作品ばかり作ると言うことは、それらの作品の限界を早く知ることになって、それを突き抜けた、あるいは全く違った切り口から見られる作品に最も早く気が付くことが出来るし、アクション映画というカテゴリーに関してはハリウッドの何倍も面白い作品が突然出来たりもする。こうなると節操の無さというのは、切り替えの速さという美徳へと変化する。ハリウッドが世界の映画界をリードするというのなら、香港映画こそが映画界の屋台骨を支えつつ、新しい可能性を提示し続けている。

 ただ、その切り替えの早さの中で、当然古いものはどんどん切り捨てられる。その中で最たるものがかつて一世を風靡した功夫映画と言うことになろうか。今も細々と作られているらしいが、それらは全て低予算で、かつてのような活気は流石に無くなってる。

 しかし、かつてのそう言った功夫映画が大好きという人間も数多くいる(私も含めて)。映画界の中では同じ香港で映画作りをしてきたチャウ・シンチー監督こそ、その中でも深く功夫映画を愛していたと思われる。

 私が観た監督の作品は『食神』(1996)と『少林サッカー』(2001)の二つだけだが、料理とサッカーという、おおよそ功夫とはまるで違う素材の中で、しっかり功夫を演出していたのが流石だった。本人もストレートな功夫映画を作りたかったんだろうけど、それが出来ないからこういう方法を使ったのだろう。

 この監督が本当にようやく到達できた、ふんだんに製作費を用いた功夫映画。題は、そのままズバリ『功夫』。監督本人もここまで来たか。と言う思いを新たにしたことだろう。功夫映画が実は大好き…というか、一対一で基本的に肉体のみを使った戦いを描いた映画が好きな私としては、本年最初の最高の期待作だった。近くのシネコンでは吹き替え版しかやってないけど、どうせ広東語なんて分からないから、これで良いか。  オープニングに現れる巨大な「功夫」の文字。そして古めかしいギャング同士の抗争。いやが上にも期待は高まる。

 …それでどうだったか?

 面白いか?と聞かれたら面白いと答えるし、久々の功夫映画を堪能したか?と聞かれたら堪能したと言ってしまえるのだが…なんかこう、乗り切れない部分がどこかにあるんだよな。

 前作『少林サッカー』も無茶苦茶な作品だったけど、こっちは手放しで喜べた訳だから、何が違うんだろう?とつらつら考えてみた。

 そうすると色々と出てくる。

 設定に関しては、最初からそう言う事に突っ込むべき映画じゃないから別段構わないのだが、ストーリーに関して言えば、考えてみると主人公が殆ど不在のままなんだと言うこと。監督自身が主役を張っていて、それは絶対にはずせないのは分かるが、根本的に体術が使えないのが致命的だったのが先ず一つ。それと、主人公の性格付けも中途半端。幼なじみとの邂逅とかの物語がちゃんとあるのだから、それをもう少し掘り下げてみるべきだったんじゃないか?たとえどれだけベタであっても、映画というのは物語があるから爽快感が増す。その物語をないがしろにしすぎ。『少林サッカー』だって無茶苦茶な物語だったけど、曲がりなりにもちゃんと前提があって、打たれながらも野望を着実に段階を踏んで果たそうとする過程があったし、ラストもその過程あってこそ楽しめたものだった。対してこちらはドラマの連続が続きすぎたため、ストーリーが全てぶつ切りで、展開が唐突すぎ。それに敵役である斧頭会に魅力がない。冒頭で貧民街には手を出さなかった。と言うことを言っているのだから、その理由付けというのが必要だった。それにギャング組織なのだから、それなりの仁義ってものがあるはずだったのにそれも全くなし。あったのはわがままな親分と、それを取り巻くロボットの如き組員ばかり。ガキ大将となにも変わりない。それなりに組長に悪の魅力を演出できていれば、爽快感も相当に増したはず。

 それと肝心なアクション部分なのだが、最初の貧民街の三人の達人の殺陣シーンは本当に格好良かった。三人がアパートを立ち去る際に手合わせをするシーンなんかは鳥肌出てくるほど。実際、私はこの肉と肉がぶつかる戦いが観たかった。この辺の武演はサモハンだそうで、なるほどと頷ける。

 ただ、中盤以降どんどんCGの占有率が高くなって行くに従い、アクション全体が薄っぺらくなっていった。本来最も盛り上がるはずのラストファイトが殆どフルCG…これはちょっとなあ。全部軽く見えてしまう。CGは何でも出来てしまうが故に、派手にやればやるほど単なるイメージの所産になってしまい、軽くなってしまう。人間とCGの融合をどこまでさせるかと言うのは今の映画にとっての最大の課題だと思うのだが、それを置き去りにしてしまった。監督自身が実際に戦えないのはやっぱり致命的だと思う。むしろ最後は本当に地道に己が肉体のみを用いて一対一で延々戦って欲しかった。前半部分だけだったら凄く面白かったんだけどなあ。

 後、これは香港らしい良い部分だが、数多くの映画のパクリをしっかり持ってきていたが(『燃えよ!ドラゴン』は言うに及ばず、『マトリックス リローデット』(2003)や『シャイニング』(1980)からも引っ張ってきてた)、それをオリジナルよりかえって面白く仕上げてた(笑わせようと思えば笑えるわけで)。漫画的描写も行きすぎるくらいの方が面白いので、これもOK。あと、個人的なツボは、殺し屋の一人は千葉繁が声を当てていたが、本当に若い頃の千葉繁そっくりな顔してる。心の中で思いっきりツッコミを入れてた。

 結論を言えば、ドラマとして観るならば良い部分はたくさんある作品なんだが、映画全体で評価すると、評価を下げざるを得ない作品。と言うことになるか。

 シンチー監督のこれからに期待。

(評価:★3)

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