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[コメント] カンフーハッスル(2004/中国=香港)

「努力?やったことはないけど、それは機会がなかったから」と思い続け、「通販でエキスパンダーやブルーワーカーを買う金さえあれば僕だって」と信じ続けたボンクラ男子小学生たちは、腕立て伏せの代わりに功夫映画を観るのです。
Myurakz

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







 世界には様々な「闘う男」の映画がありますが、中でも功夫映画というのは、少年の「強くなりたい欲」を異常なまでに活性化させてくれるものでした。それは何故だったのか。あの頃僕らは確かに強くなりたかった。いや、正直今だってなりたい。だけどそれは正確に言うと、「筋トレとかしないで強くなりたい」だったんです。うまいこと「柔よく剛を制」したかったんです。だけど僕らだってバカじゃない。努力に努力を重ねた筋骨隆々の大男に真っ向からぶつかっても勝てないことは知っています。だからそこに何か一つ「弱者が強者を倒せる理由付け」が必要だったんです。そしてその理想的な形が功夫だったんです。

 もちろん功夫映画にだって努力するシーンはありました。ただその中心は筋トレではなく、「型の体得」にあるように見えました。体を痛めつけるのはイヤだけど、毎日型の練習をするのならできそうな気がする。しないけど。そんな少年たちの「やればできる信仰」の免罪符が功夫だったわけなんです。ちなみにそんな功夫映画の上に立てるのは『ベスト・キッド』だけです。

 あの頃の新作映画に続々と登場する多彩な拳法。僕らにとって、それらは全て「筋トレしないで強くなるための魅力的な言い訳」でした。「獣の動きを取り入れた」、「秘伝の書を読んだ」、「酒を飲んだら強くなる」。そんなキラ星のような言い訳たちに酔いしれた僕らにとって、今作の前半は、社会的「弱者」が「多彩な功夫」で敵を倒していくという設定だけで既に合格点だったんです。

 中でも最高だったのが大家の旦那。刺客二人を両手で振り回して吹き飛ばしたあと、彼の足下に大きく描かれたのは「太極図」!そうなんです、強者は力押しで闘おうとするため、その攻撃は直線的なのです。だからその直線の攻撃に対し、円を用いた動きで対応するのです。力を受け流すことで守り、また遠心力を用いることで攻めるのです。あぁ、何と短絡で、かつ何と信じたくなる理論でしょう。円の動きだったら型の練習よりも更にできそうな気がします。ちなみに達人三人衆の中のマッチョ兄ちゃんは、その点でいうとマッチョなのでイマイチでした。だからこそ最初に死んじゃうんでしょうけど。

 とにかくそうやって僕らの「強くなりたい欲」を十数年振りに昂らせてくれた今作は、そんな「強くなりたいボンクラ」の一人を主人公に据え、クライマックスで彼を「最強の言い訳」によって達人にしてくれます。そう、「気」です。彼は殴られることで「気」が通うようになり、掌から繰り出す「気功」で敵を倒すのです。気功、何という甘美な理論でしょう。体は鍛えなくていいんです。丹田に力を入れて精神を集中すれば、掌だけで敵を吹き飛ばせるんです。多分僕でもできるはずです。試したことがないだけです。気功最強。俺最強。

 だから今作のクライマックス、達人と化したシンが敵をなぎ倒していくシーンは、笑うところではなくて泣くところなのです。あれは僕らがあの頃に見た夢なんです。僕らが憧れた功夫の、最も正しいあり方だと思うのです。

 正直に言いますと、チャウ・シンチーの格闘シーンは他の人のそれに比べて深さや迫力に欠けていたように思います。ただブルース・リーに憧れた彼が、功夫の達人となる努力によってではなく、CGの力によって功夫映画主演の座についたということが、作品中で「気」によって最強となる主人公とシンクロして、ちょっと嬉しい気分にさせてもらいました。満足。

(評価:★4)

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