コメンテータ
ランキング
HELP

[コメント] ライフ・アクアティック(2004/米)

ウェス・アンダーソンの最も「個人的」な作品であり、それ故に2011年時点での最高傑作と評価していいだろう。「疑われた男」。血走った眼のズィスー(マーレイ)の拳銃が執念を貫くために火を吹く時、その顔がいくらトボけていようともその姿に監督が己を重ねていたとしても驚かない。そして、私はこの「照れまくる」男アンダーソンの「暴発」を最大限に支持する。「赤帽」のいかがわしさはかくして打ち砕かれる。
DSCH

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







「スノビッシュ」「インチキ、ハッタリ」「狙いすぎ」「実はからっぽ」。一見カッコつけに見えるアンダーソンの「笑い」の作風を「笑えるか」「笑えないか」という単純なカテゴライズをしようと試みることにどれだけの意味があるか分からない。そのどちらでもあるだろう。ただ私の感覚で確かに言えることは、「笑った後に必ず後悔する」ということだ。「後悔する」その理由は、当事者がふざけているように見えて、実際は「本気」であることが分かるから。本当に、毎度、最後には「疑ってごめんなさい」と思うのだ。そして本作ではその突き詰めが極められている。

「疑われた男」。のんべんだらりといかがわしさを垂れ流すズィスー。「ケイコウフエダイ」は合成っぽい。旧友エステバンを食らった「ジャガーザメ」の撮影フィルムは欠落している。大体、劇中劇の編集の素人っぽさがまたインチキ臭い。観衆もライバルのヘネシー(ゴールドブラム)、記者のジェーン(ブランシェット)も、その存在を疑い、つまりズィスーを疑っている。最もズィスーに衝撃であったのは、劇中でも明かされるようにおそらく最大の理解者であったはずのクラウス(デフォー)が、旧友が「食われた」当時のズィスーを「目が異常だ(錯乱している)」と評したことだったろう。しかしズィスーは観衆の笑いに「なぜ笑う?」と素朴かつ毅然とした態度を取り、ヘネシーの「(ジャガーザメなんて)いないんだろ」という問いかけに対して「ネタバレになるから言わない」と答える(二度目に観るとこの台詞がたいへん面白い)。

私はこの一連のシークエンス→海賊撃退時の銃撃戦(「血走った眼」の一瞬のカットバック)→深海(可能性の海)でのジャガーザメ(本質)発見に至る流れで、「疑われた男」としての監督の個人的な想いの発露がなされていると思う。「スノビッシュ」「インチキ、ハッタリ」「狙いすぎ」「実はからっぽ」。アンダーソンもそのように「疑われてきた」に違いないのだ。

アンダーソンはウエットだが、一貫してシャイで、天の邪鬼である(ザ・ロイヤル・テネンバウムズのレビューでも同趣旨のことを書いた)。アンダーソンは登場人物にほぼ一切ストレートな感情表現をさせない。登場人物は一貫して実は「ふれあいたい」「理解したい」「仲良くしたい」という「ウエット」で「本気」な欲求を「我慢」している。トボけた「ユルい」表情の仮面の下で多くの人物は血の涙を流している。天の邪鬼な会話劇の密度(おかげで疲れる)。それはアンダーソンの作家性であり、「照れ」がその本質だと思う。それがいわゆるケレンの演出につながっていると思うのだ。だから、アンダーソンが照れて「ケレン」が極まり、「滑稽」に、「いかがわしくスタイリッシュ」になるほどに「隠れた本気度」が加速する。

そして、縛めを噛み破り、吠えながら海賊を撃ちまくる銃撃戦の本気度は凄まじく唐突だった。この「暴発」には心を動かされるしかない。本来、「暴発」にこそ映画の神が宿るのかもしれないと思わせるほどだ。作家性と作劇がモロに結びついている。その凄みに驚く。

私はいつも、アンダーソンは「笑える」「笑えない」ではなく、「笑うべきでない」監督であると認識している。ケレンはフェイクだが、しかし本質を伴っている。そう自分なりにかみ砕いているにも関わらず私が「笑って」しまうのは、私のある種の疑いを軽く打ち砕くレベルで、そのケレンの突き詰め方が究極的に緻密だからだ。

おそらくアンダーソンを嫌う人にとって、この映画は最も唾棄すべき「からっぽ」映画となるだろう。これはアンダーソンの作品の中でも、最も奇矯かついかがわしくスタイリッシュな映画だ。その評価自体を否定する権利は私には全くないわけで、それは当然のことなのだが、私は深海のジャガーザメのような「ないようなあるような、ファンタジックかつ現実的な本質」を証明して全てを取り戻したトボけ親父の勇姿に世界の深遠を読み取り、滑稽かつ美しい修羅場を共に切り抜けた仲間の笑顔に心の底から感動した。おすすめしにくいが、ここにはアンダーソンなりの、本当の本気がある。私はアンダーソンのシャイでウエットな天の邪鬼な優しさが大好きだ。ズィスーが投げ捨てたピアスを無言で拾うネッドと、受け取るズィスーの無言のあうんの呼吸。気球上の会話の機微。細かい。素晴らしい。

・・・とここまで整理するために一部要素だけを抽出して書いてみるだけでは、この映画を「面白さ」を全く説明できない。ストーリーに関して言うならこれは文字通りアンダーソン式の『ビッグ・フィッシュ』であり、寓意を共有するからこそ私はこの作品が好きなんだと無理矢理結論付けてもいいのだが、私のなかで最重要の位置を占める『ビッグ・フィッシュ』について、劇場で鑑賞以来、一切を頭の中でまとめられないで居る以上、ここに書けることは本来何もないのかもしれない。ここまで訳わかんないこと書いちゃって何なんだって感じですが。

・・・ところで、お前は中島哲也のことはどう思っているんだ、と問われたときには、私は2011年現在では真っ向から否定する。『告白』は嵌まったと考えているが、あくまで「奇跡」だったと考えている。何故と言われてもここでは語るスペースがない。とりあえず、彼は「照れている」のか「真にからっぽ」なのか、未だ測りかねているということにしておきたい。

(評価:★5)

投票

このコメントを気に入った人達 (2 人)ゑぎ[*] 3819695[*]

コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。