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[コメント] メゾン・ド・ヒミコ(2005/日)

ゲイの黄昏。つまりはファスビンダー映画の諦念とも近い。理にかなったハッピーエンドなんて、どこにも存在しないことを彼らは知っている。そして、理にかなわないものだけが、皮肉にも世界に小さな灯をともす。
くたー

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







ルビーを息子夫婦に引き取らせたシーン。沙織が浴びせた「あんたたちインチキだ!」という罵倒。その罵倒がある面では理屈が通っているだけに、余計に残酷に響く。社会的に見て、さらには(後述しますが)生の営みから見て、インチキ、ニセモノとみなされていることなんて、きっと彼らは重々承知なんだと思う。でもそのニセモノたちにだって幸せになる権利は、生きている意味はある、と肩肘張っているのではないだろうか。そうやってないと生きていけない、やりきれないのではないだろうか。何より切ないのは、限定されたコミュニティに身を置きながらも、彼らはゲイ以外の人々を決して拒絶はしていないこと。心のどこかで世界を愛していること。

契約、打算、欲望(肉欲)、乾いた会話・・・全編を通してのやや辛口のテイストは、楽観できるものが世に存在しないことによるのでは、と思ったり。岸本の「愛なんて意味がない」というセリフ。さらには(名前失念)「一人ずつ欠けていくのを見守るだけ・・・」というセリフ。かけがえのないはずのものでさえ、いつしか掌から零れ落ちていくことを知っている。その諦念。「強烈な欲望(生きるための原動力)が欲しい」というセリフなども含めて、この映画には忘れがたいセリフが非常に多い。

そして、そんな乾いた世界に唯一灯をともすのは、「(それでも)あなたが好き」の一言。それは理屈で全て清算した上で、なお残ってしまうちっぽけな感情の吐露。卑弥呼と沙織の間の、沙織と岸本の間の、さらにはあそこに住まう全ての人々と世間の間にもきっと残されている、理屈の通らない不可思議な感情。逆に言えばその感情は、認識できる(認識させられている)常識に決して侵されることなく存在できるだた一つのもの、なのかもしれない。だからこの映画の世界は、乾いていながらもどこか温かい。

そして、そんな彼らを見てその温かさに心が反応する人は、きっと「果たして自分の存在はニセモノじゃない、インチキじゃないと言い切れるか」と、心の片隅で思うだろう。そしてゲイの人たちは何が違うかと言えば、ただ人よりも「孤独」というものに対して敏感にならざるを得ない、ただそれだけなんだと個人的には思う。沙織という一人の孤独な女性を通して、限定されたコミュニティが抱える懊悩を、そのように普遍的なものとして提示している。そんな映画なのだと思う。

最後に、数ある印象的なシーンの中で、最も心に残った忘れられないシーン。死者の供養の儀式で唱される「我が母の教え給いし歌」。「(男女の営みで)母親から生まれてきた生き物」という、ゲイが抱える根源的なジレンマ。それをあえて死を前にして認識することの意味。ニセモノとレッテルを貼られようが、それでも僕らも同じ人間なんだ。ただ同じように生まれ、同じように還るだけなんだ。そんなことを噛み締めているのではないだろうか。[4.5点]

(2006/3/9)

(評価:★4)

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このコメントを気に入った人達 (3 人)パッチ 直人[*] ぽんしゅう[*]

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