[コメント] ダーク・ウォーター(2005/米)
ヘレン・ハントの出演映画の多くで土砂降りのシーンが挿入されているように、ごく希少な女優に限って、出演した作品中に水を想起させるシーンが挿入されることは間々ある。水は母性であり、サスペンスである。このような女優は内面が水の特性にマッチするとともに、映像的にも水とのコントラストが自然であることが必要である。とりわけ、本作の主人公を演じたジェニファー・コネリーは、そんな女優の一人である。
その一例として、近年の『ダークシティ』『レクイエム・フォー・ドリーム』『砂と霧の家』の3本の映画に於いて、ジェニファー・コネリーと「桟橋」を映す類似シーンが挿入されていたことが挙げられる。imdbの調査結果によるとそれぞれは全くの偶然との事だが、作為的でないだけであって、自然なことだと思う。更に『ラビリンス 魔王の迷宮』も泉のほとりの橋を歩く彼女から物語がはじまっていた。 水は故郷であり記憶でもある。彼女の作品で潜在的な「既視感」を伴うことが多いのはこのためだろう。 彼女のデビュー作『フェノミナ』に於ける「水」との関係も決して偶然ではないはずだ。
『ダーク・ウォーター』は、そんな彼女のためにあるような映画と言っても過言ではないだろう。本作でやはり既視感を感じたのも、決してそれがリメイクだからと言うことだけでなく、住まいを廻る要素は『砂と霧の家』を、家族を廻る要素は『ビューティフル・マインド』を、クライマックスは『フェノミナ』を想起させるように、彼女の特性にも潜在的に起因していることは見逃せない。 そして、彼女が振り回されたように見えたこの物語が、実は彼女を中心に回っていたと言うプロットの一面までもが、その一つの現れなのである。
ジェニファー・コネリーの母性を他作以上に引き出せたことが、本作の最も大きな意義と言えるでしょう。
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