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[コメント] 八月の狂詩曲(1991/日)

学芸会のような演技にいちいちずっこけてしまうのだが、数多いメタファーの連続は中々読み解き甲斐がある。つまり絵にそれだけの力がある、ということなのだが・・・さすがにこの演技を90分観続けるのは苦行だ。
赤い戦車

劇中で言及される「目」はその後黒板に書かれたり、「月」やひしゃげたジャングルジムの周りに集まる老人たちのカットで反復されている。

また、「倶会一処」の文字が映された後、蟻の群がる「薔薇」が出てくるが、これは亡くなった夫への思いを象徴するものだ。このシンボルは煽尼采さんの言う通り、引っくり返る「傘」とそれに被さる「野ばら」として、これまた反復されている。

他にも「滝壺」と「蛇」や「河童」、心中した「木」と村瀬幸子が「雷」から白いシーツで孫たちを守ろうとする場面など、多くのメタファーが本作には隠されており、その点見事な構成であることは確かなのだ。

そうは言っておきながらも、私がこの映画を全面的に支持できない理由は、端的に役者の演技がひたすら集中を妨げてくるからなのだが、これは図式的な演出を強いられているからであって役者陣に問題があるわけではない。このような後期黒澤特有の演出を見て多くの観客が「世界のクロサワもついに呆けてきたか・・・」などと思うのは当然至極のことである。

しかし今一度監督の意図を探ってみれば、作品内に仕掛けたメタファー群に気付かせやすくするため、わざと面白みのない演技を強いていたようにも考えられないだろうか。まだ研究不足で単なる思い付きの段階ではあるが、そういった事を頭の片隅に入れて後期黒澤明の世界を覗くと、また違ったものが見えてくるかもしれない。

(評価:★3)

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このコメントを気に入った人達 (3 人)Myrath けにろん[*] ゑぎ[*]

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