[コメント] ヒストリー・オブ・バイオレンス(2005/米)
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これ夫(父)が得体の知れない人間で「不安」だから怖いんであって、「暴力」が怖いっていうのと違うと思う。アル中だったり、DVだったりっていう人の暴力だって、いつなんでふるい始めるのかわからなくて怖いんだけども、その人が暴力をふるうということに対しては他意がない、正直な感情の発露だろうなというふうに感じられる場合、怖いのは具体的にふるわれる物理的(精神的)脅威だけだろう。
トムという男は暴力をコントロールしていて、トムが暴力とどういうふうに関わっているのか謎だから怖い。10数年前までは、それに快楽を感じ、ビジネスの道具でもあったという暴力が、彼のどういう心の闇から繰り出されるのかその起源がわからなく、そしてどのような方法でそれを制御しているといってるのかわからないから怖いのだろう。いつ何のきっかけでその均衡がくずれるのか、いつまた「覚醒」してしまうのか、結局はトム以外の人間にしかわからない。そしてそういう異常者とわかっていても惹かれる妻、そういう父の血が流れている息子と娘。もしかしたら自分の中にある「潜在的な暴力衝動」が、誰にでもある程度の微々たるものであっても、そこに得体の知れないものを感じぜずに入れないからこそ怖いのだろう。
この作品、ただのアクションとしてではなく、暴力というものをテーマにすえて描いているのだと思うのだが、それだと最後の落しどころが違っているんじゃないだろうか。
心情的に理解はできてもモラルとして許してはいけない、といって夫と訣別をする(子供と切り離す)という判断をせず帰りを待っていた妻。いじめっこを制裁しただけならまだしも、父を助けるためとはいえ人をショットガンで撃ち殺した息子。彼と彼の家族の心情を知り、彼らのこれからのあるべきを思うためのてがかりは、彼と妻が出会ってから今日まで彼らの家族が積みあげてきた時間だ。しかしそれがほとんど映画では語られないのであっては、フィクションの中のかれらから、観客のわれわれが感じることができることなど、その観客の思い思いの勝手な憶測となってしまうのではないだろうか。
つまり、ラストの食卓で向いあう一家のシーン。予兆が漂ういいシーンなのだが、ここで投げかけられる問題とは、事情が特殊過ぎて結局彼らにしかわからない問題になっちゃってないか? 観客がどうこう言えないような…。かれらはそれまでの人生を偽りなく生きてきたと見るのと、嘘で塗りかためてきたものだと見るのとでは、まるで感じ方も変わるだろう。
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