[コメント] お茶漬の味(1952/日)
元々が戦時下において構想された物語であったことに由来するいささかの無理があることは否めないが、じゅうぶんに面白く魅力的な作品だ。
**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。
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しかし、そもそも小津も野田高梧もこの物語に無理があるなんてことは百も承知であったに違いない。そこであえて現実的なもっともらしさを装ったりせず、「ウルグアイ」などという突拍子もない地名を繰り出してきたのだろう。この突拍子のなさはたまらなく魅力的だ(パチンコ屋のオヤジ笠智衆登場シーンの突拍子もない面白さはどうだ!)。
小津の作品にはこうした脚本上・演出上の突拍子のなさに溢れている。それは必ずしも「映画的驚き」とは同義ではないが、突拍子のなさや驚きに欠けた映画にいかほどの価値があるのか、私には疑問である。
また、これは小津の場合『お茶漬の味』に限ったことではないが、カッティングのタイミングの正確さにも特筆すべきものがある。「会話の間の妙」といったものも小津映画の醍醐味であるが、バストショットの切り返しの反復によって進行する「小津的な」会話は、おそらく中抜きで撮影されていたであろうから、この場合「会話の間の妙」とはすなわち「カッティングの間の妙」を意味する。これは一コマ単位の違いを正確に認識できた小津の天才的な能力と、浜村義康の卓抜した編集技術をもって初めて可能になったわざだと云えるだろう。まあ一コマ二コマずれていたところで、残念ながら私にはそれを認識することなんてできないでしょうけどね。
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