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[コメント] 彼岸花(1958/日)

松竹ヌーヴェルヴァーグの若手に突き上げられる重役の自嘲と観れば一興
寒山拾得

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
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本作で弱いのは有馬稲子で、何で佐分利信に一言も相談しないで叛旗を翻すのかよく判らない。ただ佐田啓二は貧乏だから云々と云うだけで、父親への反感だけが強調される。だから双方云い分があるよねという定式から遠く、有馬に対してそれはないんじゃないという印象が最後まで抜けない。物語としては失敗だろう。しかし思い返せば、作者は積極的にそうしたかったのだろうと思う。本作は佐分利が不条理な攻撃にあう話だから。

クライマックスの同窓会、笠智衆は「時代が違うが」と躊躇しながら楠木正行の詩吟を唸り、一同で唱歌「桜井の訣別」が歌われ、このメロディで映画は閉められる。いずれも忠君の歌だ。この同窓会の面々、若い頃は目上を敬えと叩き込まれ、目上になってみれば軽視される。気の毒と云えば気の毒、娘のできちゃった婚でも頭掻いて結婚式に出る我々世代にはないわだかまりがあっただろう。一方、すぐに娘の味方になる田中絹代や、浪花千栄子山本富士子ら女たちのスタンスは、戦前から変わりのないものだと見える。「お母ちゃんたちはあんたの味方だからね」という卓越したバランス感覚は、旦那にとっては不愉快と同時に有りがたかったりする。これも自嘲に至る処。

穿った見方をすれば、本作は松竹ヌーヴェルヴァーグの若手に訳の判らない理屈で突き上げられる重役小津の自嘲じゃないだろうか。こう観れば、久我美子の男が大島組の常連になる渡辺文雄なのは適役、佐田だってヌーヴェルヴァーグの先達の木下組の人だし、有馬はにんじんクラブの人だ。冒頭の駅のホームで花嫁を物色する駅の労働者はまるで喜八さんのようで、戦前の小津のタッチが残って生き生きとしている。ラストで女どもに担ぎ上げられて有馬の元へ行く佐分利の自嘲には、小津映画総体として見れば、なんで俺重役なんかやっているのかと云う詠嘆があるように思われた。ただ、そういう喜劇なら、佐分利では格好良すぎるのではないだろうか。

(評価:★3)

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このコメントを気に入った人達 (3 人)緑雨[*] 3819695[*] けにろん[*]

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