[コメント] ゆれる(2006/日)
登場人物たちの、画面に映らない人生について考える。いや、考えさせられる。
優れた映画とはそういうものだと思う。
映画を見終わった後、兄と弟がどう生きていくのか、どんなふうに育ってきたのか、父と叔父はどう生きてきたのか、父と母は、女の母親は・・・しばらく考えていた。くよくよと。(だから見た後味はよくない。)
そして家族についても考える。家族の型が人生を決める、ということについて。どんな家族であるかにその人の生き方や価値観が左右される、ということだけでなく、家族の中でどんな存在であるかで生き方の方向が決められるということを。兄は、兄であったから(父と同じように)ふるさとに残り、弟は弟であったから(叔父と同じように)都会に出る。兄は家族を守るべきものと考え、弟は家族を捨てるべきものと考えたのだろう。
この映画について一つひっかかっていたのは、西川美和がどんな動機でこの話を撮りたかったのかということ。彼女は兄でも弟でもないのだから、兄と弟の感情のパワーゲームのどこに魅力を感じたのだろう、と。
もしかしたら彼女の創作動機は「家族を(ふるさとを)捨てる」ことにあったのかもしれない、と考えたりもする。それは、しずかな罪悪感でもあり、何かを奪ったようでもあり同時に奪われたようでもある・・・故郷を離れた人間ならだれもが感じるだろう、あの、後ろめたい開放感とひそやかな加害者意識。
それが正しいにしろ正しくないにしろ、この映画はたしかに人生の一断面であり、家族の一断面であり、日本の都市と地方の事実の一断面であった。
そして、私はまだ、考えている。
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