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[コメント] 鉄コン筋クリート(2006/日)

レトロな下町を覆う極彩色の汎アジア空間宝町は、我々が無秩序に排出し、消費し続けた文明の残骸の堆積物のようだ。その三次元空間を駆け抜け、苦悩し、天秤のように補完し合う二次元の手書き少年クロとシロが体現する人間の両極のイノセンスは共感に値する。
ぽんしゅう

そのイノセンスこそが、人が最後の最後に踏みとどまらんとするための純なる希望の証しなのだ。文化や産業は我々に多大な幸福感と利便性をもたらした。しかし、日々感じる重圧感や、直面するやり切れぬ事象もまた我々が自らの手でもたらした産物であることは明白だろう。

無秩序で猥雑で極彩色に彩られた宝町は、まさに欲望と矛盾がからまり合った現代社会の具象化だ。そんな宝町を何とか現状のまま保つため、暴力で本能的に支配し牛耳ることでしか安定が得られないクロ。一方、無邪気にクロにしたがいつつも、その安定とは負の均衡であり、町がいつしか闇に覆われ無に帰してしまうかもしれないことを直感的に悟っているシロ。

補完し合いながら踏みとどまる二人の純粋さは痛々しくもあり、どこか神々しくもある。特に蒼井優のシロが素晴らしい。この手のピュアさを描くとき、ややもすると陥りがちな罠がキャラクターの幼児化(背中に羽の付いた子供はもう見たくない)や白痴化(※)(黒澤の『どですかでん』ですら・・・)であるが、彼女のセリフ回しは、その安易さを見事に回避し、まぎれもなくイノセンスを体現していた。

冒頭からの疾走感が中盤途切れ、ヤクザたちのエピソードで物語が停滞するのが惜しい。それも仕方がないのかもしれない。クロやシロは純だらこそ空を駆けることが出来るのだ。生身のヤクザは、しょせん地を這い、もがくことでしか、宝町を生きることが出来ないのだから。まさに、私たちがそうであるように。

最後になったが、非凡な創造力と技術を持ったマイケル・アリアスというアニメーション・クリエーターとの出会いに、素直に感動していることをもちろん付け加えておかなければいけなかった。

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※ 現在、「白痴」という単語は差別的用語として使用してはいけないことになってるようですが、この文脈で常用化している名称を使用すると、ことさら限定的な意味合いが増してしまい、私の意に反して逆に差別的な意味合いが付加される可能性があるのであえてこの単語を使用しました。

(評価:★4)

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このコメントを気に入った人達 (4 人)DSCH[*] Lostie[*] 浅草12階の幽霊 けにろん[*]

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