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[コメント] あしたの私のつくり方(2007/日)

残酷な人体実験の末の、奇跡的に幸運な結末。
林田乃丞

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







 弱りきった友人を女子高生版ホットドッグプレスよろしくモテカワガールに仕立て上げて遠隔操作することで自らの手慰みとする主人公の行動が、ひどく残酷で危険なものに思えたんです。主人公が小説を書き終えた瞬間、彼女にはメールで送るべきメッセージがなくなってしまう。小説はハッピーエンドを迎えても、操り人形だった日南子の日常は続いてゆく。糸を切られた日南子は現実の中に放り出される。そして彼氏にワケの解らんことを口走る。ここで、あの彼氏が奇跡的な性根の優しさを発揮したことで物語が救われるわけですが、あの彼氏の「再告白」には何ら必然性がないんです。っていうか、モテカワガールである偽・日南子に惹かれたはずの彼氏クンなのだから、メールの魔法が解けた「久保田真奈美」的・日南子に突然の理解を示す展開は不自然でさえある。これじゃ日南子を救ったのは主人公じゃなくて脚本家じゃないかってことになる。

 そもそも、小学校の卒業式のときにふたりは「感謝してないのにありがとうと言うこと」や「仲良くもないのに別れを惜しむこと」の無意味さと空しさについて語りあっていたけれど、主人公が日南子に対して行っていたことはまさしくこの無意味さと空しさの渦の中に放り込むことだったのではないでしょうか。

 自分を取り巻く現実は厳しく、偽りの笑顔を振り撒く生活は耐え難い。だけど自分は孤独を恐れ、周囲を突っぱねることもできない。だから、せめてあの友には、本心から笑える日常を送ってほしい。そのために嘘をつく。そんな物語を贈る……というのであれば、すごくいい話だと思うんです。だけど、この主人公がやっていることは「お前も私みたいに偽りの笑顔を振り撒けよ」ってことだもん。主人公は自分自身がその生き方に限界を感じているくせに他人にもその生き方を(もっと極端な形で)教唆しているわけで、なんと言うか、非常に無責任で身勝手な行動だと感じました。ラストも強引に着地しただけという感じ。

 少なくとも、これは若者たちが真似しちゃいけない類の物語と思います。他人の心をメールによって意のままに操ることは確かに快感かもしれないけれど、送り手がハシゴを外した瞬間にいつもセーフティネットがあるわけじゃないから、やめるタイミングが悪かったら受け手の心は簡単に砕けるよ。

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って、本当はこんなことが書きたかったんじゃなかったんだ。ウルトラ美少女・成海璃子様の濡れそぼったうなじがどうだとか、湯上りのなで肩に宿る色気がどうだとか、体操服がどうだとか大量の女子高生が制服生脚でマスゲームってそんな、とか、そっち方面の見所がたいへん満載で、あーもう上に書いたの全部消したろかと思ったけどいいや、このまま送信。

(評価:★2)

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このコメントを気に入った人達 (3 人)天河屋 TOMIMORI ペペロンチーノ[*]

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