[コメント] 監督・ばんざい!(2007/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
前半の、家族映画も恋愛映画も、昭和30年代懐古映画も、当然SF映画もまったく観客にとって意味はない。この劇中映画群は、「オレはお仕着せの企画もの映画は撮らない」という、今さらながらの北野武の宣言でしかなく、スクリーンに映し出されるフィルムの内容には何の意志もない。それぞれの劇中映画の完成度の低さをみれば、それは明らかだ。
中盤以降の、どうやらこれが本編らしいギャグ映画における笑いに関しても、うけようが無視されようが北野にとってはどうでもよいことなのだろう。『菊次郎の夏』(99)で、生真面目さの照れ隠しとして物語を破壊する役目を担っていた井手らっきょを、8年ぶりに起用して無意味な出鱈目さの象徴に据えていることでこれも明らかだろう。
怪しげな母娘(岸本加世子・鈴木杏)に金持ち(才能あふれる映画監督)だと勘違いされ、つきまとわれた挙句結婚を申し込まれ、本当はあばら家に住む風采の上がらない(才能の枯渇した)男だとばれたにもかかわかわらず、娘(鈴木杏)に「私、この人と結婚します」と言われる映画監督北野(ビートたけし)という、自己満足的なぐさめごとを独り言のように語りたかっただけなのだ。
北野武は日本を代表する(職業監督ではなく)映画作家である。当然、この下らなさは確信的なもであり、意識的に既存映画の破壊行為がなされたと見るべきだ。映画ファンとして、怒ったり失望してみても、まんまと北野の術中にはまるだけである。ここはただ一言、「つまらない映画だった」とつぶやいて後はいっさい無視すべきである。
それが、この映画と、今の北野武に対する正しい距離のとり方であり、次回作を見るつもりがある者にとての正しい心がまえであり、すなわち互いに傷つかないための良策であろう。繰り返しになるが、北野は才能あふれた職業監督ではないなのだから。
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