[コメント] 包帯クラブ(2007/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
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人はみんなそれぞれに違うから、抱えている痛みだって違うはずだ。そんな当たり前のことに、すごく真剣に向き合っている若者たちの姿に感動した。彼らは誰ひとりとして、「ただそこに行って包帯を巻けばいい」と思っているわけではなかった。
世の中には今、「癒し」が溢れている。だが、誰かが決めたその画一的な「癒し」によって、まず彼ら自身が救われないことを自覚している。だからこそ、彼らはただ包帯を巻くだけで良しとはしない。逆上がりをさせたり、葬式をあげたりと、彼らに寄せられた悲鳴の奥にある渇望に思いを馳せる。顔の見えないネットの向こうの相手との、心の対話を試みる。
例えば何か、誰かのために善い行いをしてみようと思ったとき、正直私はその結果にまで思いを巡らせたりはしていないと思う。募金にしたって献血にしたって放り投げた時点で、吸われた時点で「ああ善い事をした」と満足する人間だと思う。友人のために何かしてやるときだって「こんだけやってやったんだから」という思いが少なからずある。「すべからく見返りを寄越せ」と言い出さないくらいの慎みは身に付けているつもりでも、「なんでここまでしてあげてんのに君はそうなんだ」と不満が募ることだってしばしばある。自分が相手の心の中を真剣に察そうとしていないから、相手も自分も少しも幸せにならなかったりする。
包帯クラブの面々はそうじゃなかった。ディノが何度も口にするセリフがあった。「これじゃ伝わんねーな」、「伝わる写真を」……。彼らの活動は依頼者に思いが伝わり、その魂の救済が為されて初めて完結するものだった。そういった思慮深さと自らの行いに対する覚悟を当たり前に背負って産まれてきたこの物語を、私はとても尊く感じた。
▼柳楽優弥について
彼がカンヌで賞を受けた際、私はこのサイトに「確かに瑞々しい演技であった気はしないでもないが、スタジオセットに強烈な照明の中で同じ芝居ができるかといえば甚だ疑問だ。」と書いた。彼の映画を観たのはそれ以来だが、つまりは、フィクションの中でキャラクター付けされた役どころを与えられたとき、この子役はきっと役の人物像を咀嚼して作りこむことはできないだろうという、私なりの予想というか、これは、侮辱だった。
土下座したいです。
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