[コメント] ドラキュラ(1992/米)
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かつて、コッポラの映画を観て、何と影の使い方の上手い監督なんだろう。と感心した。だけど、これを観て、何て影の使い方、下手になったんだろう。と思い直した。
ブラム=ストーカーの描いた「ドラキュラ」は映画受けする素材のようで、これまでにもいくつもの映画が作られてきた。『吸血鬼ノスフェラトゥ』 『ノスフェラトゥ』 『魔人ドラキュラ』 そして『吸血鬼ドラキュラ』…これらは皆、全く同じ物語を様々な監督が作ってきたので、まさに様式美的な作品となっている。そしてその度事に、伯爵役の名優を生み出してきた。マックス=シュレック、クラウス=キンスキー、ベラ=ルゴシ、そしてクリストファー=リー…(関係ないけど、何でドラキュラ映画、シネスケ登録が少ないんだろ?)
それをコッポラが、映画化すると言うので鳴り物入りでクランク・インされていた。様式美ならコッポラは上手いぞ!しかもキャスティングが凄く、皆、私が大好きな俳優ばかりを集めているのも嬉しい(一応の主役であるリーヴスだけは除く)。 出来としては、原作にかなり忠実に作られ、ドラキュラ伯爵とミナとの愛情はとてもエロチック。
でもなんか乗り切れない。その理由を考えてみた。
・ゴシック・ホラーの様式美にこだわるあまり、過剰な演出をしすぎた。
・特に影の演技は嫌みったらしいことおびただしい。
・ドラキュラの精神的な弱さを出し過ぎ。
・全然怖くない。いや、「怖さ」の演出を最初から放棄しているとしか思えない。
ゴシック・ホラーというのは、演出が大切で、時として鼻につくほどなのだが、それらは「恐怖」のための演出だからこそ、良いんだ。ところが、この作品、その恐怖描写を放棄し、中途半端なラブ・ストーリーに仕上げてしまったお陰で、過剰な演出が、殆ど嫌みのまま残されている。
どれほど技術的に稚拙で、役者が大根であったとしても、『吸血鬼ノスフェラトゥ』には確かに恐怖の演出がふんだんに取り入れられていて、だからこそ、佳作足り得た。
根底に恐怖あってこその耽美的演出!恐怖を失ったら、演出過剰なだけの作品になってしまうんだな。
良い勉強になったよ。
それでもゲイリー=オールドマンのドラキュラ役はやっぱ良いねえ。ウィノナ=ライダーも好きだし、アンソニー=ホプキンスに至っては教授になりきってたし…いつから良い役者を下手に撮るのが上手くなってしまったのだろうか?コッポラは。
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