コメンテータ
ランキング
HELP

[コメント] 夜顔(2006/仏=ポルトガル)

世の殆どの映画は、映像の中の風景や人物を、何らかの語りの効率の下に切り貼りすることで、この豊饒さを放棄しているのだ。この名匠の手の中では、物語ではなく、時そのものが語る。
煽尼采

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







人生、という言葉が、そこにまとわりつく教訓臭や、卑近な情緒から解放された形で浮かび上がる。

冒頭の、セヴリーヌを見つけたアンリが、音楽を聴きながら仄かな笑みを浮かべていく場面。セヴリーヌを見失ったアンリが劇場の前を無為に歩き回り、建物の方では、扉が一つ一つ閉められていく様子。言葉を交わすこともないままにアンリとセヴリーヌが向かい合う会食での、アンリの笑顔と、それに瞬間的にほだされかけたような、セヴリーヌの、冷たく硬い表情の下にすぐに仕舞い込まれる微笑み。一見すると無意味に思える長回しだが、所謂「普通の」映画に於いて、効率よく物語を語る為の編集によって切り落とされるものが何であるのかが、この映画を観ると痛いほど理解できる。それは、時間それ自体の持続から浮き上がる、人生の肌理のようなものだ。長回しだけがそれを伝えるわけではない。唐突に挿入される瞬間的なショットは、頻繁に挿入されるのではなく、長回しの中に稀にふっと入り込むことで、より印象的に感じられる。信号機のクローズアップや、アンリがショーウインドーのマネキンを見つめる、何気ない場面。セヴリーヌをまたしても逃したアンリがふと、金のジャンヌ・ダルク像の、なぜか馬の耳の辺りに視線がゆく瞬間。アンリとの会食中、セヴリーヌがホテルの窓から見える夜景に目をやるショット。昼と夜のパリを俯瞰した映像は、風景の切りとり方がまた素晴らしく、昼=白と夜=黒のコントラストがこの映画と『昼顔』とのコントラストそのものにも見えるし、百歳間近のマノエル・デ・オリヴェイラが人生を眺める視線そのもののようでもある。

何か事件を起こすのではなく、むしろ、事件が起こりそうで起こらないことで、本来は人生の大部分を占めているインターバルな時間の細部が顕在化する。長回しや、何も起こらず肩透かしの続くシークェンスが全く冗長にも無駄にも感じられないのは、普通の映画では捨てられる要素こそがこの映画の主体であり、事件を展開させるための機能や意味や効率性から離れた持続そのものが醸し出す質感こそが前面に押し出されているからだ。子供には世界が新鮮に映ると云うが、老成した者は、眼の前に世界が在ることそのものが持つ瑞々しさを「知って」いる――そんなふうに感じさせられた。

アンリとの会話でバーテンが語る台詞は、『昼顔』での、娼館を訪ねる客が、普段は隠しているであろう欲望や性癖を、なぜ娼婦の前では曝け出すのかを教えてくれる。曰く、客が自分に色々な打ち明け話をするのは、自分のように中立で匿名な、話を聞き流し、すぐに忘れる存在にこそ話せるから。だが、自分は沈黙して聞いている立場だという当の彼自身がアンリの前で饒舌に語り、客の話を聞いたことで耳年増になっているという事実。そして逆にアンリがバーテンに告げる。自分も匿名の存在だ、ただ酒を飲みにやって来た客にすぎないのだから、と。合わせ鏡の構図だな、と思ったら、やはりバーテンの後ろには鏡があり、観客はアンリの姿を、その鏡の映像を通して観ているのだ。映像もまた一つの鏡であり、匿名の視線であり、僕らはそれを通して自他の欲望や性癖に触れる。そして間接的に、人生の姿を知るのだ、虚と実の区別もよく分からないままに。セヴリーヌの知りたがる、アンリが夫に秘密を告げたのかどうかという問いに対してアンリがどう答えようと、それが真実かどうか確かめる術はない。だからアンリは、自分に尋ねる前によく考えた方がいい、と告げ、セヴリーヌは、彼女にとって唯一つ、アンリと言葉を交わす意味のある疑問が、アンリの答えを得る前に、いわば形而上的に崩壊したことを悟ったのかもしれない。この、追えども触れられぬ、虚実を分かつ地平線――『昼顔』に、またブニュエルに捧げるオマージュとして、これはまさに「正解」と言うべきだろう。『昼顔』を、またブニュエルを、ただ反復するということ。だがそれは、マノエル・デ・オリヴェイラその人にしか為し得ぬ反復でもある。

バーに飾られた裸婦像や、客として居る娼婦、注がれた酒を「氷は要らない」と言うアンリの台詞など、『昼顔』への連想をさり気なく誘う演出が愉しい。そして、『昼顔』では娼婦は、昼、街の人々の目に触れない室内にいて、夜の場面では却ってセヴリーヌの純潔な姿を見せていたのが、今回は夜の街中に娼婦が普通に顔を出して、バーテンからは「彼女たちこそ天使」と言われ、好色な男だったアンリからは相手にされないという、完全に逆転した世界が現れている。倒錯の映画である『昼顔』の、さらに倒錯した世界。

(評価:★5)

投票

このコメントを気に入った人達 (3 人)赤い戦車[*] 3819695[*] けにろん[*]

コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。