[コメント] エイリアン2(1986/米)
『エイリアン』シリーズは「続き物」じゃない
はたして『エイリアン』が、最初から「シリーズ物」として作られていたのかどうかは疑わしい。ジャン・ピエール・ジュネの『エイリアン4』が決定的だったのだけれど、あきらかにデヴィット・フィンチャーの『エイリアン3』でこのシリーズは終わるはずだった(そうじゃなかったすれば、あんなアクロバティックなつなぎ方はしなかったはず)。おそらくリドリー・スコットの『エイリアン1』の時もそうだったのではないか。
必要なのは、『エイリアン』のストーリーではなく、『エイリアン』というツールなのだ。
だから、『エイリアン』シリーズを一般的な「続き物」として捉えるのは明らかに間違ってる。『エイリアン』シリーズは物語的な「展開」や「深さ」を全く欠いている。ただエイリアンは生き残ればいいだけだし、リプリーは死ななければいいのだ。『エイリアン』シリーズを語る時、必ずと言っていいほど「監督」について語られるのは、物語として語るべき「内容」がないことの証左だろう。
そして、それを決定付けたのが、ジェームス・キャメロンの本作『エイリアン2』である。キャメロンは、ジュラシック・パークとしての『エイリアン』に「愛」を持ち込んだ。
つまり、墜落する宇宙船はタイタニックそのものなのだ。
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