[コメント] たみおのしあわせ(2007/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
(極力ネタばれにならないよう極力ネタばれにならないよう努めますが、それでも未見の方はこの先を読まないことをお勧めします)
約1ヶ月超の「息子が結婚するまでの物語」は、まるで小津映画の笠智衆と原節子のような親子愛の物語・・・と思わせておいて意外な展開に向かう。
例えば息子の結婚相手の麻生久美子。 いいよね、麻生久美子。この映画でも天使みたいに描かれてる。サイコー。麻生久美子サイコー。あと光石研サイコー。玄関鍵を取り替えながら背中で演技してるもん。
ま、光石研は関係ないとして、天使・麻生久美子は終始(男から見て)天使として描かれ続けるのですが、後々判明する“アレ”は、実は早い段階から少しずつ表現されているのです。 「囲碁が好き」と言い、実の父は既にいないと会食の場で話題に出る。一体どこの女が義父のために自分の送別会を抜けてくるものか。そもそも、結婚にOKを出したタイミングが始まりだ。義父となる原田芳雄に会ってから(会ったから)なのだ。(ファザコンなのかフケ専なのか分からないが)
原田芳雄は、何時でも何処でも原田芳雄であるという濃い役者なのだが、この濃い父親が付き合う女性がこれまた濃い。大竹しのぶ&石田えり。濃い。濃すぎる。だいたい別れた女を息子の結婚式に招待する意味が分からないが、映画的には画面に出す必然性がある。 濃いからだ。 この濃い女達との対比として天使・麻生久美子が存在する。 だから逃げ出すのだ。単にイケナイ関係だからではない。「濃い女を追う」男にとって「清楚な女が向かってくる」のは怖いのだ。
父の職場や心情は頻繁に描かれる一方、息子オダジョーは「転職歴」がほのめかされるものの、何の仕事をしているか明示されない。 分かっているのは、周囲の目を気にしながら小さくなって(襟のボタンも一番上まで止めて)社会の中で暮らしていることである。父親がわりと奔放(特に女性関係)であることとも対極であると言える。 父親視点が中心であることを考えれば、「正直息子のことを理解しかねている」とも受け取れる。
だが、結末を知ってしまえば、父子が度々繰り返す口喧嘩も「愛情の裏返し」であることが分かる。 繰り広げられる意外な展開(半端なく意外な展開)も、実は冒頭に書いた小津映画の父子関係に帰着する伏線であることが分かる。 もし「息子が理解できなくなっていた」のであったなら、様々な意外な展開は“雨降って地固まる”ための必然であったのかもしれない。
「失った母親」という“欠けた存在”が、女性に奥手の息子と奔放な父親を生むと同時に、父子の“かすがい”であったのだろう。 それがやっと、最後の最後で明かされ、夏を迎えるのだ。
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