[コメント] グーグーだって猫である(2008/日)
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飼い猫サバの死をきっかけに描けなくなったマンガ家の、グーグーを迎えてからまだしばらく続く無為な日々。ここがあまり上手く描けていないと思う。人々の賑わいから一歩中に入ると閑静な町、そこでおりなす幸福感と寂寥感、サウダージな感じというのがもっと表現できていればよかったんだろう。
「ネコとのたわむれの日々」の描写はステレオタイプで、主人公麻子が写すグーグーのスナップ写真以上の魅力を持っている映像がない。ネコの映画を観に来たつもりの人にとってはこれで満足できるだろうか? 吉祥寺を紹介する情報番組風の演出も今更だし、井の頭公園の映像で本物の花見の時の映像をそのまま使っている場面があるが、生々しくて雰囲気がそがれる。これはマンガでいえば、写真をまるごとトレス、いやコピーを貼っているような所業に近いのではないかな? 公園の祝祭的な感じっていうのは心象風景なんだから、ここはがんばって撮りおろししないと。
森三中と上野樹里がチャンバラ稽古に飛び入りするシーンなんかも、狙いは悪くないんだけどなんか今ひとつで、つい北野武って適当にやっているようで、どうしてこういうところが上手いんだろうな、とか余計なことを考えてしまった。(ここでは森三中より樹里ちゃんのほうが笑いとってたぞ。)それを遠目で眺める麻子先生が、そのまま芝生に寝転んで手を空にかざす主観ショットがあるんだけど、どうもすんなり溶け込んでいけない。最後のほうでグーグーのスナップ映像にgood goodのロゴがかぶさるところなんかにしても、うまい人だったらもっとうまくなったところのようにも思えるし、中盤の上野樹里が浮気の彼氏を追っかけていくところなんかのスラップスティックな感じも外しているし、監督どうにもこういうとりとめのないシーンみたいなのが苦手なんじゃないかって気がする。
もひとつ言うと、ナオミのドラマおよびキャラクターが中途半端な感じだ。どっかと自分の軸をもっていて周囲をあるがままに見守っている、が後ろを向いて一人になった時、常に「死」と対峙している(作家としても)のが麻子先生だとしたら、たえずいろんなものとの距離感で自分を測っているようなナオミのキャラっていうのは本当は大事な役なんだろう。
あまり描きこんだら上野樹里の映画になっちゃうし、いっそ思い切ってナオミの心情をほとんど描かないで、最後にほんのチラっと先生や彼氏と自分との距離感について語るっていうくらいのバランスで良かったかも。(中途半端な感じっていうのは、特に前半のナレーションをナオミがやっているっていうのも一因がありそう。「先生なんだか寂しそう」と客観的に言っていた人物が、実は「その時に」本心ではその先生に対して別の寂しさを感じていて、それが中盤以降のドラマの核になっている。でもナレーションではそんな感じがしていなかったっていうのが、前半と中盤のナオミという人物を分離してしまっているような印象を受ける。(マンガのモノローグは、人称不詳だったり、他人の内面になりきってしゃべったりできるので、本心隠しての独白なんていうのもお手の物だから、マンガだったらあんまりこういう違和感を感じずに済むものなのかも知れない)
文句ばっかりになってしまったが、役者は良かったと思う。何と言っても小泉今日子は凄いと思った。若いアシスタントたちの後ろで立っているときの仕草だけで雰囲気があったり、ふと何かに気づいたとき一瞬変わる表情とか、この人は佇まいとか表情っていうのが並みのセンスじゃないなと思う(子宮をなくした娘の前で泣きじゃくる母親の横で、自分の運命を飲み込んで、かつ、そういう母親に対し一番悲しいのは自分だと腹を立てつつも、孫を産んでやれなくて申し訳ないなとも思い、結局母さんもうしょうがないでしょう、と言っているような表情なんていうのはあれ以外にないって感じで)。4点は「また見たい」という思いでつけるのだけど、それはほとんど彼女に対してというのが大きい。
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