[コメント] イントゥ・ザ・ワイルド(2007/米)
映画を見終った人むけのレビューです。
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「自分探しの旅」ではないのは、主人公の青年“アレックス”は、すでに自分を見つけた上で放浪する身を選んだからだ。
文明を否定し、自然との共存を選び、「究極の自由」の中で生きるために。大学を優秀な成績で卒業したアレックスは賢いタイプで、自分のことはしっかり考えている青年。なんとなくではなく、確固たる決意で旅に出た。
だから、あまりその思想に対してケチをつけたくないなと思った。現代社会でどんなに文明を否定しても、その恩恵を少なからず受けてしまうのは周知の事実なのだ。
車や鉄道を利用することや、アラスカに行くための資金をアルバイトで稼ぐこと。文明の中での思考の賜物である本を読むということ。究極的に言えば、すべてをシャットアウトしてこそ完全な文明否定になるのだが、彼なりの線引きがあるようだったし、放浪の過程で出会う人物がときどき意見していたので文句を言うのは辞めたのだ。
ショーン・ペンも、題材にした実在の青年が持つその思想の矛盾については気づいていることは間違いないし、もし自分がアレックスだったなら、ここまで極端な放浪の旅は出来ないで、絶対食料を“お金”で買ったり、数週間で帰宅することを選ぶだろうなとも思ったから。
実話がベースとなっているということもあるのだが、この映画の最大のポイントはアレックスが100日を越える不思議なバスでの生活の末、死を迎えることだと思う。
戻ってきてしまうと、「放浪の末に大切なことを学びました」というポジティブながらも安易なメッセージで終わってしまったであろう。確かに、アレックスは放浪の末に大切なことに気づいた。旅で出会った人々との会話や、自然の中で読んだトルストイの「家庭の幸福」によって、否定をして出てきたはずの家族の大切さに改めて気づき、戻る決意まではして足を踏み出した。・・・・・・しかし、自らが共存すると選んだ自然の力により、彼は戻れなかったのだ。
結局、自然の厳しさにより体は衰弱しきり、不思議なバスの中で永眠することとなった。彼が選んだ「究極の自由」は、最期を迎えるそのとき、究極的に残酷だったように思える。だからこそ、家族と再会する結末よりも、人々とのふれあいの暖かみというのが、広い次元で伝わってくるのである。「養子にならないか」と提案した老人のエピソードなど、効果的なふれあいシーンが物語中に多くあっただけに。
それにしても、スクリーンに映し出された大自然をバックにしたシーンの数々。これらにはやはり絶大な力があった。
ショーン・ペン監督作品は前作『プレッジ』を観ていたが、ジャック・ニコルソンの渋さと広がる自然の印象が強かった。本作も、自然を映し出すということは映画において欠かせない要素。観客も序盤のアレックスのような開放感を得られる。
ある意味では、この映画はヒーリングムービーにもなり得るのはないだろうか。観ながら、休みが10日あったとして自然に委ねるような休暇を満喫してみたい、という考えが頭に浮かんだ。しかし、「10日」という発想ですでに状況が違っているわけだ。生活を一度すべて捨てて、まっさらにして旅をするということ・・・。だが、それができない。だから、こういった映画を観ながら物思いに耽り、自らに問いただしてみたりする。
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