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[コメント] フレンジー(1972/米)

「沈黙」と「静止」の恐怖。物体と等価に置かれる「廃棄物」としての肉体。そのグロテスクさをユーモアにも転じるヒッチの余裕と妙技。
煽尼采

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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冒頭の演説シーンで政治家が清浄化を訴えていた川の水を汲んできたかのようにグロテスクな、刑事(アレック・マッコーエン)の妻(ヴィヴィアン・マーチャント)の料理。その黒々とした様が観客の背筋を凍らせる。恐怖演出は笑いと紙一重だと楳図かずお先生が仰っていた通り、ですね。

その冒頭のシーンで政治家が、排水を垂れ流されている川の現状を訴えている、その演説を引き継ぐようにして、「廃棄物」としての女性の骸が川に浮かんでいるのが発見される。この「無価値な物体と等価にされてしまう人間の肉体」という表現は特に『サイコ』を想起させる点。殺人犯のラスク(バリー・フォスター)が酒場で「ジャガイモの商売は割に合わない」と話しているシーンがあるが、その当のジャガイモにまみれて、バブズ(アンナ・マッセイ)の遺体と格闘するラスク。人間の肉体が、無価値な物体と見做されたジャガイモと等価に置かれる非情と、ラスクの状況そのものが抱える間抜けさという可笑しみ。

首を絞められたブレンダ(バーバラ・リー・ハント)が絶命した瞬間、目をカッと見開いたままの彼女のクローズアップが数瞬、ストップモーションになること。クールさの中に一抹の温かみを見せる女性としての気品ある立ち居振る舞いを見せていたビジネス・ウーマンとしてのブレンダが、舌を垂らして絶命している姿の衝撃。彼女を襲っていたラスクが憑かれたように繰り返していた「beauty!」の声が絶頂を迎えた後の、無機質な沈黙と静止。本作は全篇に渡って、この「沈黙」と「静止」による演出が随所に見られる。

バブズと一緒にホテルから抜け出たリチャード(ジョン・フィンチ)に旧友が声をかけるシーンでの、上方のテラスから女がそれを見下ろしている視点からの、リチャードらの会話が聞こえない俯瞰ショット。酒場の店主が警察に連絡したことに腹を立てたバブズが店外に出たカットで、俄かに街の騒音が消えたかと思うと、背後からラスクが彼女に声をかけること。バブズがまんまとラスクの部屋に連れ込まれてしまうシーンで、「君は俺好みの女性だよ」というラスクの「殺し文句」を受けて、カメラがアパートの無人の階段を緩慢に降りていくカットの無音。リチャードが濡れ衣のまま裁判にかけられて有罪を宣告されるシーンでの、法廷の外から警備員が扉を少し開いて声を盗み聞きする時以外は中の声が聞こえないこと。

特に、バブズ殺害シーンでの後退するショットは、『サイコ』の殺害シーンの後のショットと同様、「非人称の視点」という不可能な視点に基づくものとしての「映画」の不気味さを痛感させる。更に今作では、アパートの外に出た瞬間、街の騒音が介入することで、先行する沈黙の冷たい感触を際立たせる。『サイコ』の自閉的な空間の沈黙と対照的な、屋内の沈黙と外の騒音との、冷厳な隔絶感。

ブレンダ殺害シーンでは、ヌードや殺害過程等、全てをねちっこい執拗さで見せていたが、バブズ殺害シーンでは一転、「見せない」ことにより観客の想像力を刺激する。だが、その演出に得心した観客の虚を衝くかのように、自らが身につけていたピンがバブズの遺体の手に握られていることをラスクが想起するシーンでは、恐ろしい形相で絶命したバブズの表情が矢継ぎ早に観客の目に飛び込んでくる。この絶妙な匙加減。

(評価:★3)

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このコメントを気に入った人達 (3 人)けにろん[*] 赤い戦車[*] 3819695[*]

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