[コメント] チェンジリング(2008/米)
映画を見終った人むけのレビューです。
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星条旗を描き続けるクリント・イーストウッド御大は、『スペース カウボーイ』辺りで「今の星条旗(アメリカ)は、俺達が理想としてきた姿じゃない」と言いはじめ、『父親たちの星条旗』辺りでその主張を明確化してきている。 ここ最近はアメリカの(歴史の)恥部を描く事にご執心なのではないかと(笑)。
この映画でイーストウッドが執拗に、必要以上に描くのは、警察の横暴であったり、病院の酷い扱いだったり、絞首刑でもがく姿であったりする。 要約すると、この映画は「権力の横暴」を描く事に主眼を置いているように思えるのです。
今まで御大は、権力を撃つことはあまり上手ではなかったと思うのです。 「肉体」を伴った(痛みも伴った)実体を描くことが得意で、形のない権力なるものに銃口を向けることは得手ではなかった。 しかし本作では、“母子物”という肉体を伴った素材があり、且つ、最も得意とする“異常者”という素材があった。 御大にとって、大変理想的な素材だったのでしょう。
その描写は「容赦ない」。
この手の映画の場合、いかに古い街並みを再現したか、なんてことがもてはやされますが、もうそんな次元は遥か彼方に置き去りにしている。 そしてこの映画を注意深く見ると、アメリカという国の人権軽視の歴史が見えてくる。 ここんとこ、年くったせいか“死期”(死にざま)を巡る話が多かったように思えたのですが、何か新しい“怒り”のマイブームを見つけたのかもしれません。 怒りオヤジ完全復活。
余談(というか追記)
絞首刑の執拗な描写は、もしかするとダーティー・ハリーから続く(あれは監督ドン・シーゲルだが)「異常者ブチ殺す」の延長線上かもしれない(笑)。 だがそれは、年老いて明確化してきた「人間の尊厳を守る」ことの裏返しなのだろう。
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