[コメント] バーン・アフター・リーディング(2008/米=英=仏)
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ピットとフランシス・マクドーマンドの関係性はちょっと新しいと思う。ただの職場の同僚というには不思議なほどに仲がよく、かと云って恋愛の影はまるで見えない。裏切りもないが、観客の涙や感動を誘うような形で友情が焦点化されることもない。途中からはマクドーマンドがリーダーシップを取っているようにも見えるが、ピット失踪後の彼女の狼狽ぶりは、彼女がピットに頼りきっていたことを窺わせる。
さて、コーエン兄弟はラストシーンにおいてその映画のテーマ(のようなもの)を集約的に語ることが多い。『ファーゴ』しかり『ビッグ・リボウスキ』しかり『ノーカントリー』しかり。ここではシモンズらの「よく分からん事件だ」「何も学んだことはない」という会話がそれに当たるのだろうが、果たしてそれらが本当にテーマなのか、そもそもコーエンはテーマなんてものを設定して映画を作っているのか、「テーマみたいなもんが最後に提示されてたらお前ら観客は気持ちいいんでしょ? じゃ、そうしてあげるよ」という含み笑いが透けて見えるように仕組まれているのがコーエンの意地の悪さだ。
しかし、その意地の悪さについて云えば、同系統の作品と云ってよいであろう『ブラッドシンプル』や『ファーゴ』よりも薄まっているように見える。それは、これが『ビッグ・リボウスキ』ほどではないにしても、かなり喜劇に傾いた悲喜劇だからだ。またその要因は「動機」の切実さの度合いが低いことにある。つまり、マクドーマンドにとって整形費用の捻出はそれこそ切実な問題だろうが、多くの観客にとってはどうでもよい滑稽なことである。一方『ファーゴ』のウィリアム・H・メイシーの借金問題はどうだろう。メイシーのような(現実にもじゅうぶんに起こりうる)板挟みの状況に置かれたとき、私たちは彼のように愚かな振舞いをしないと云い切れるだろうか。『バーン・アフター・リーディング』は『ファーゴ』のように「笑いそうだけど、これって笑ってよいところなのかしら? でもやっぱ笑っちゃうよね」という葛藤を観客に押しつけない(要するに、素直に喜劇に傾いている)。コーエンの目論見通りであろうそのこと自体をとやかく云うつもりはないけれども、それにしては笑える箇所が少ないというか、シチュエーションがもたらす笑いが弱い。ピットの個人芸はやっぱり好きだけど。
ところで、コーエンはこれから撮影エマニュエル・ルベツキーとパーマネントなコンビを組むつもりなのだろうか。この一作を見る限り、ルベツキーは水準の高い仕事をそつなくこなしているが、ロジャー・ディーキンスやバリー・ソネンフェルドのような突出も見当たらない。
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