[コメント] ツィゴイネルワイゼン(1980/日)
「センパァ〜イ」
レベッカの名曲『フレンズ』にして名ぜりふであり名歌詞である「先輩」。ここからスタートすれば、また違った趣が出てきそうだと思ったし、エンターテイメント性を保ちながら話を展開できると思ったりもした。
作り手の名前を無視してから作品だけを見る癖が付いているので、鈴木清順の名前に全く動じず、心動かされることなく素直に2点。
2003/2/20
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鈴木清順は自分の作品の事を語ろうとしないで、「お好きなように」と語るだけ。その鈴木清順(彼だけではないが)の編み出したビジネスモデルはジャックウェルチもビックリの成功しまくり。この映画で迂闊にポロリと壇上で演説していたら、こんなに評価を得ることはなかっただろう。“しゃべらない”が出来た事が成功を握っていたのだ。
芸術鑑賞は、最初からその作品をの価値を語ったり、価値を決めてしまう説明文が横にあるほど、芸術鑑賞ではなくなる。それを置いて、受け手の想像力をバカにするのではなく、作り手の考えをバカにするのではなく、提示でとどめる。この事を鈴木清順は理解していたのだろうと思われる。
ただ、エンターテイメント性を全く確保しないで、好き勝手に自分の中にエンターテイメントを内包しながら進みまくる手法は、固定客がいてこその展開。鈴木清順ブランドがもたらした作品であり、鈴木清順ブランドを信仰した信者とのコラボレーション映画だ、とも言えるのではないか。
この手の作家性の強い映画でエンターテイメント性を蔑ろにしすぎては、清順を食してない一般人は“知識人”に“文化人”を毛嫌いするばかり。私は、この作品に特権階級にお高く鎮座するばかりでなく下にも降りてきて欲しかった。映画の裾のを広げ、人間性の再構築を望んでいた私の勝手なお願いなのだろうか。
自分の中に潜む勝手な期待と、そこから生成された甘えが恥を伴い炙り出されているのだと感じたから1点ではなく2点。それも悔し涙が90%を占める2点。
2003/2/21
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