[コメント] グッド・バッド・ウィアード(2008/韓国)
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とりわけ指狩り魔だか指切り魔だかにまつわる真相が土壇場で明らかになるところなどはまったく意味不明だ。これもレオーネに倣った「過去の因縁」の導入のつもりかもしれないが、いかんせんそれを準備するシーンが欠けすぎている。
さて、見渡す限りの荒野に伸び続ける線路、その上を走る蒸気機関車。などの嬉しくなる画を持っているし、主演三名のうちでは作劇上の位置において最も割を食わざるをえない“グッド”チョン・ウソンを出来る限り格好よく演出しているあたりは偉い。アクション演出については「厳格さ」の点において総じて満足できる水準には達していないが、闇市シーンでウソンが縄につかまって宙を舞いながらライフルを放つところなど、けれん味に富んで悪くない箇所も少なからずある。しかし全篇を通じて弾薬の量に頼る傾向が強いことについては、予算がそれを許し、また演出家にじゅうぶんな演出技量が伴っていない状況においてはやむをえない面もあるとは云え、決してよい印象は抱けない。
ここで原典と比較することほどこの映画にとってかわいそうなことはないだろう。しかしクライマックスの三すくみの対決シーンについてはやはり一言しておきたい。『続 夕陽のガンマン』における三すくみとは、クリント・イーストウッドの知略によってもたらされた、残りの二名にとっては「強制的な」状況である。一方で『グッド・バッド・ウィアード』の三すくみ状況の根拠は、イ・ビョンホンが云い出した「誰が最高かを決めるため」とかいうきわめて幼稚なものである。簡単に云えば、同じ三すくみであっても『続 夕陽のガンマン』には必然性があり、『グッド・バッド・ウィアード』にはない。映画には必ずしも必然性がなければならないことはないが、演出家がその必然性のなさ(いいかげんさ)を映画的な面白さにまで昇華させる力を持っていない限り、興奮の最大値は低められてしまう。また、これは決定的に不満な点で、先に述べた弾薬の量云々というのにも関わってくることなのだが、ここでのウソン、ビョンホン、ソン・ガンホは銃を撃ちすぎている。これでは駄目だ。なぜ銃を撃ちすぎてはいけないかと云うと、それは銃撃の技術が稚拙であることを意味しているからにほかならない。「強い奴ほど撃たない」というのは西部劇の鉄則である(その点で偉大なのはやはりイーストウッドです。たとえば現代西部劇『ガントレット』で、無数の銃弾を撃ち込んでくる敵に対し、バスに籠るイーストウッドはいったい「何発」撃ち返していたか。そしてそれがどのような帰結を導いたか。もちろん『ガントレット』を見た人には云うまでもないでしょう)。いくら凶暴性を誇示してみせるなどしたところで、やたらに銃を撃ちまくるこのビョンホンらはまったく強そうに見えない。ガンファイトを見せ場に据えた西部劇において、強いはずのキャラクタが強そうに見えないというのは致命的な欠陥だ。映画勘・西部劇勘が鈍すぎる。
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