[コメント] 太平洋ひとりぼっち(1963/日)
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観ながらずっと思っていたのは、『2001年宇宙の旅』の方法で撮ればよかったのでは?ということ。構図をきちんと計算した、客観的で冷たいフィックスでのショット。揺れる手持ち撮影は、登場人物の主観ショットのみ、という組み合わせ。だけどこの作品ではカメラは、堀江青年と共に船内の揺れと格闘している感じなので、堀江青年は撮影者や観客に常に見守られているように見えてしまう。彼の置かれた息苦しい状況が、殆ど伝わらない。海の広漠とした様子が感じられるのも、堀江青年が船上でパンツを脱ぐかどうか迷うシーンでの、彼の主観で海を捉えたショットくらいしかない。やり方が間違っているとしか思えない。
とはいえ、個人的には、堀江青年が先輩から説教されるシーンが気に入った。「自分だけを信じるのもいいが、自分を大切にする為にも、周りの人間にも気を遣え。他人だって生きているんだ。大勢の他人にかかれば、君一人なんて簡単に潰されてしまうんだ」と、そうした意味のアドバイスをされるのだが、この言葉を受けて、それまでは海の上の孤独感を殺ぐ回想シーンを邪魔に感じていた僕は、ふと、堀江青年にとっては「人」も海と同じく、自分を取り囲むものであり、その上に浮かんでいるのだが、そこへと沈められてしまうものでもある、という類似性があるのではないかと思えてきた。
孤独感に苛まれ、独り船内で自分と自分の会話を延々と続ける堀江青年。観ているこちらは落語を聞いているような感覚で楽しいのだが、そんな彼が、いざ飛行機や大型客船が近づいてくると、煩わしいと感じる様子が、何だか可笑しかった。彼の「船」への熱中ぶりを「映画」に置き換えてみればどうだろう。映画ばかり観て生身の他人と殆ど会話をしていないな、とふと思うこともたまにはあるが、映画館の暗がりで他人の存在が煩わしく感じてしまうことも多々あったり。自分が映画に向かうのは、孤独を求めてなのか、孤独を埋める為なのか。そんなことを考えると、堀江青年にけっこう感情移入できてしまった。
堀江青年は、鎖国的な日本が窮屈で、太平洋に出た。冒頭の、夜の闇にまぎれての出航シーンは、亡命、或いは島流しのように見え、ここで既にこの映画の一つの主題が示されているのが分かる。国境を越えるということ。だからこそ、孤独を欲しながらも孤独に苦しむ堀江青年が、海の上でハワイのラジオを受信し、聞こえてきた「♪吹けば飛ぶような 将棋の駒に」の歌声の「駒」を「船」に置き換えて涙するシーンには、心の国境というものがどういうものなのかが描かれていると言える。
観客の退屈さを避ける為か、堀江青年と他者の触れあうシーンが頻出する演出にはずっと違和感を覚えたのだが、後半からは、ただ持続していく時間の感覚だとか、海の広漠とした雰囲気が、飽く迄も前半と比べたら、だが、多少は演出されていて、少し安心した。霧に包まれた中を、波と空だけが同じような乳白色で浮かび上がるショットの連続が良く、もっとこういう演出を盛り込むべきだったと感じた。特に、雑誌のページを一枚一枚ちぎって海に流すシーンでの、何も無くただ青いだけの海の上を空しく流れる紙片の白さが印象的で、堀江青年が、犬か狼の写真を見つけ、唯一の友である飼い犬のことを思って泣く所も、良いシーンになっていたと思う。
シスコ到着後のシークェンスも割に良い。英語で次々に話しかけてくる白人の群れや、夜の街に輝く夥しいアルファベットのネオン。スピード感あるカット割りで描かれた、人と車の群れが、冒頭の方での日本の街の光景を連想させる。ずっと不安定な船の中で踏ん張っていた足が、固い地面の上では却ってふらついてしまうというのも、安定した生活に安住していられない彼の生き様の暗喩にもなっていて面白い。
領事館のシーンでは、椅子に身を委ねる堀江青年の背後の真っ白な壁で画面に大きく余白をとり、ラストの、ベッドに眠る堀江青年の姿も、白を強調した画面に収めている。「燃え尽きたぜ…真っ白にな…」というわけですね。また、「ご家族からの電話」だと言ってドアをノックする音にも気づかず眠る堀江青年の寝顔でしめるのも的確。やはり彼は最後まで「ひとりぼっち」でいたいわけだが、このラスト・ショットの表情は、まるで天国にいるように安らいで、満足げなのだ。
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