[コメント] フローズン・リバー(2008/米)
女性映画というよりは母性映画だ。母性に突き動かされた女たちは、越境者として川を渡り、善悪の一線を踏み越え、文化や人種の壁をも突き抜け人として共闘する。つまり、生きるために、あるいは子を生かすために、人は何に依拠して「境界」を乗り越えるかという話だ。
**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。
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作者のコートニー・ハントは母性こそが、世の中らのあらゆる境界を越える唯一の手段だといっているのだ。なるほど父性とは権威や権力であり、その力による影響の行使こそが善かれ悪かれ文化の源でもあり、それを基に社会が構成されたとき、人は人と人の間に善悪や、貧富や、人種や、主義をたよりに「境界」を引くのだ。
作中に興味深いエピソードが描かれている。どうやらレイ(メリッサ・レオ)には、興奮すると無我夢中で銃を発砲するくせがあるようだ。それは「感情的な発砲」であり人の命をあやめることが目的ではない。彼女にとって、子供たちを含めた自らの生活を守るための威嚇行為であり、どうやら夫の失踪の引き金にもなっているようだ。
では、逆に「理性的な発砲」とは何か。不法移民ブローカーの男(マーク・ブーン・ジュニア)が、逃げるレイ(メリッサ・レオ)を傷つけるために狙った発砲こそが、明確な目的を持っているという意味で「理性的な発砲」なのだ。そして権威や思想や主義(どれも父性の得意分野だ)によって組織され統率された「理性的な発砲」行為こそが、「境界」を引く行為、すなわち軍事行為であり、テロ行為なのだ。
確かにコニー・ハントが本作で描き示したように、そんな「境界」を打ち消してしまい乗り越えることができるのは、人の生命を直感的に理解できる(つまりは感情的な発砲である)母性に裏打ちされた思いだけなのかもしれない。
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