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[コメント] 食堂かたつむり(2010/日)

地に足の着いていないファンタジー。「レタスクラブ」あたりに載っていそうな小洒落てはいるが一向に食指の動かない料理もマイナス要因だが、そんなことよりも「魔法」というキーワードは決してオールマイティではないという認識からしか、大人の鑑賞に堪える作品は決して生まれないだろう。「魔法」を信じさせるテクニックが根本からこの映画には欠けているのだ。
水那岐

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







倫子が「魔法の料理」を作れる理由は何か、それを説明する箇所がこの映画には欠けている。

彼女の能力は「おばあちゃんに教わった」だけであって、例えば処女懐胎で生まれた故とか、失った声と入れ替わりに天から授かったわけではない。そこにお伽噺ながら観客を納得させない理由があり、なおかつラストシーンで彼女が自らの手で己を癒す描写が納得させられない理由がある。

更に彼女がいつ学んだかもわからない、多国籍の料理をプロとして客に出せる腕前にも説得力がない。彼女は普通の昭和を生きてきた老婆から料理を学んだのではないのか、と言う点が引っかかる。

そして「食べた人が幸せになる」という効果が、客が料理から心を広げられて、気づかなかった幸せになるヒントに気づかされる、と言ったレベルではなく、本当に予期せぬ幸福な出来事に出会ってしまうのも子供騙しだ。ファンタジーを舐めているのではないのか。「魔法」とは先述の通りオールマイティではなく、気の利いた魔法物語ではそれを用いるに当たっての義務や制約を描かれているのが普通であろう。そのあたり見ていて甘さに耐えられなくなった。

かと思うと、妙なところで現実に過密着するシーンがある。倫子の成功をねたんだ旧友たる少女が彼女の名誉を傷つけるため料理に虫を入れるシーンだ。何でここで浮いた話が突然生臭くなるのだろう。彼女が後のシーンでは倫子の仲間に加わるのだから、ここは彼女のジェラシーを癒す場面が是非とも必要とされるところだろう。このきっかけをヒロインの転機に利用できる展開はいくらでも考えられるだけに、この話の厚みのなさが垣間見える。

どっちにしろ、日本の山奥の山村でカルパッチョやリゾットで客をもてなす傲慢さが、この作品をけなさせる要因となっているのは否めないのだが。これは都会人の描いた身勝手な理想郷の話だと判った時点で、ダメ作品の烙印を押す用意は出来ていた。それを覆す才気を監督には期待していただけに残念ではある。

(付記)これ以上ツッコむのも可哀想ではあるのだが、倫子が死にゆくルリコから愛豚エルメスを料理しろ、と求められたときに、屠殺を(おそらくは業者に)任せた描写に、ああ、またかと嘆息を洩らすのを禁じえなかった。日本には動物殺しにはまだまだ偏見が色濃く残っているが、せっかく山村というステージを得ながら自ら食材を整える用意を拒んだヒロインに落胆したのである。この映画を「生きるための食事の映画」と好意的に評している人がいる。冗談じゃない。屠殺を人任せにして綺麗な料理だけを作るヒロインに本当の「食」が語れるか。自分はそんな身勝手な理屈は認められない。『木靴の樹』を観るべし。

(評価:★2)

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