[コメント] ハート・ロッカー(2008/米)
モノに重点が置かれ、人に興味を示さないのは確信的なのだろうが、爆弾処理という即物的なモノ対人の緊張の羅列が、時間経過とともに見る側の恐怖心を麻痺させる。しかも、本来、恐怖の根源であるはずの人対人の戦場心理の緊張と葛藤は皆無。空疎な脚本が元凶。
制作者たちには、はなからドラマを構成しようという気はなさそうで、かといってその構造的な危うさ(駄目さ)を補う工夫などどこにも見当たらない確信的怠慢ぶり。何も考えぬまま興味本位に「爆発物処理」という即物的恐怖を「戦争、あるいは戦争被害者としての兵士」の恐怖に単純に置き換えただけにすぎない。
結果、何が起きたかというと、ジェームズ(ジェレミー・レナー)という男は、映画の登場人物として与えられたキャラクター以前に、その存在や造詣に「何か」を見い出したり投影したりすることができないただの意味不明者になってしまった。つまり、始めから終わりまで作品の主体が欠落してしまったのだ。戦争映画の主体とは加害者か被害者、もしくはその両者である。
主体が欠落した戦争映画に、もはや意味など見い出せるはずがない。その証拠に、ベッカム少年とDVD屋のオヤジ、大学教授と称するイラク人の男と地元の言葉で叫びがなりたてるその妻、闇の街中に潜むタンクローリー爆破犯ら、本来ならジェームズ(ジェレミー・レナー)との間に加害と被害関係が錯綜するはずの登場人物たちがことごとく機能不全を起こしていたではないか。
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