[コメント] ザ・ウォーカー(2010/米)
映画を見終った人むけのレビューです。
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「なにか読んで聞かせて」とミラ・クニスからせがまれたデンゼル・ワシントンが焚き火の方へと歩きながら穏やかに暗唱するのは、詩篇23からの一節。後半の"Yea, though I walk through the valley of the shadow of death, I will fear no evil: for thou art with me."(「たとえ死の影の谷を歩むとも、わたしは災いを恐れません。主がわたしとともにいてくださるのですから」)というくだりは、もう少し平易な英訳だったが、2001年9月11日のテロ事件時に、当時のジョージ・W・ブッシュ米大統領が合州国国民へ向けたメッセージのなかでも引用していた節だ(別にブッシュ語録に詳しいわけでも、聖書をきちんと読んでいるわけでもなく、反ブッシュ三部作まで作ってしまったインダストリアル・メタル・バンド、Ministry(『A.I.』に出演しています)が演説をサンプリングしていたので、たまたま記憶していただけですが)。これは映画の設定からすると、偶然の符合というわけでもないのかもしれない。
「戦争を引き起こした原因」と考えられたせいで戦後に聖書が焼かれた、というセリフから、キリスト教右派的な政権が滅亡への戦争を勃発させてしまったことがほのめかされ、明白に警世的なモチーフがうかがえるわけだが、この引用に出くわすと、そのモチーフが単なる風刺や批評にとどまらず、いわば「一部の間違った信徒」からキリスト教を取り返す、という生真面目な積極的ポーズとしてある可能性をも感じずにはいられなくなり、いよいよ娯楽活劇としての展開にどこか集中しがたくなってしまう(引用のシーン自体は演技もよく、印象的に撮られていて嫌いじゃないので、ますます複雑なのですが)。むろん、おせっかいのために映画を作ったというよりは、聖書というアイテムの引力に物語が引きずられてしまったと見たほうがいいのだろうけど、それだけにかえって、作り手の意図とも離れて、聖書という存在について否応なく意識させられ、妙な気分になる(もちろん、これを「○○の血筋」とかに置き換えて考えてみると、別段よその国を笑えるわけでもない)。
本の争奪戦から離脱した後の「毎日読んでいたくせに、本を守ることに必死で、それに学んだように生きるということを忘れていた」という告白で、なにかそれまでと違った方向が示されるのかと思いきや、あっさり『華氏451』的殉教者になって主人公が一生を終えてしまうのも、展開の見かけほどは意外性がないところ。あの短時間で「口承」という伝統を想起させる雄大さ自体は買ってもいいのだが、直前の、ふと漕ぐ手が止まるボートでの演技に力があっただけに、この幸福な死はきれいすぎるように思う。たとえば、胴に刺さったナイフを抜いて無言で車から降りる、レイ・スティーブンソンの死があれだけカッコつけまくって撮られていても、白々しくなく悲壮だったのと比べると、一本の映画のなかでの落差を感じてしまう。
「あの本は兵器だ」というゲイリー・オールドマンのセリフも、せいぜい悪人の考えることで済まされるか、そのまま宙に浮いたままに終わる。この映画のオールドマンは、見るからに悪党で(どうハリウッドの文法が転んだとしても、登場シーンからどっかりイスに身を沈めて「ムッソリーニ」と印字された本を読んでいて、目の見えない女をその娘の前で一方的に痛めつけるような輩が悪役以外にはなれそうもない)、悪くはないにしろ、いま一歩おもしろみに欠ける。悪党から「よこせ」と頼まれたところで葛藤の生じようがないわけで、たとえば、ささやかながら秩序をもたらそうと苦心している善意の男だったらどうだったのだろう、と別のあらすじを想像したくなる(そういう役もオールドマンには似合うはずだ)。
抜刀から始まる殺陣の印象を丁寧に裏打ちするような、主人公が実は『座頭市』もとい盲目だった、というどんでん返しも、成否の判断が難しい。それを知った目で思い返すと、臭いに敏感だったことや、最初の殺陣でトンネルの暗がりへと相手を誘ったこと、老夫婦の家へ向かうとき、階段の一段目をつま先でつつき、突き出したショットガンをドアにぶつけて立ち止まったこと、など一見何気ない動作の意味がいろいろと分かり、おもしろいが、しかし、同じように目の見えない母と暮らしていたヒロインがそのことに気付いていない(丘の上から老夫婦の家に行くべきかどうか相談している)、というのはちょっと無理のある気がする。これまた、オールドマンが彼に読める聖書を手に入れていながら破滅を迎える展開だったらもっと興味深いのでは、と空想してしまうところ(それだけでもう一本になるくらい尺が必要かもしれないが)。
核戦争後モノとしては、冒頭の灰の降る森とそこへ出てくる異様な感じのある猫(と、それを食べるシーン)以降、お約束な人肉ネタを除けば、これに匹敵する生態系描写が見られないのも残念か。環境崩壊SF的要素は意外なほど少なく、『最後の戦い』『ハードウェア』『ハーフ・ザ・ワールド』など過去のカルトと比べると(最後のは核絡みではないが)、奇想に走らず、よくもわるくも西部劇的荒野にどっかり落ち着いている。そのポテンシャルもある安定感に、反面、傑作にもカルトにもあと一歩なり損ねたような惜しさを感じる。
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