[コメント] 借りぐらしのアリエッティ(2010/日)
少女のはじめての得物「まち針」は最後まで役に立たず、物語上の意味を持たない。ネズミを見かけた父親は「あれと出くわすと大変だ」と語り、これはクライマックスでネズミバウト来るでと思ってたらそれっきり。少年が読んでる本は何なのか、全然わからない。
エンターテインメントの基礎が全然できてないではないか、という我々の文句に対し、宮崎駿は「そういうこっちゃないんだ」とここ十年以上言い続けてきた。そういうこっちゃないんだ、もう娯楽映画の定型的な展開には興味ねえんだ。この走るポニョを見ろ、この水のうねりを見ろ。よくできたお話では描けない真実がこの刹那にあるのだ。ええい判らぬか愚民ども。
結果、かつて極上のエンターテインメントを提供してきた宮崎駿の名のもとに、数本の不出来な映画が世に出てしまった。作品が不出来と引き替えに新しさを手に入れたかといえば、まあ後世の人がどう評価するかは知らんけど、オレはそうでもなかったと思う。そして『借りぐらしのアリエッティ』もまた、この宮崎駿の晩年病から自由な映画ではない。エンターテインメントの基礎的技術、観客の生理は故意に無視されている。登場人物がどういうキャラクターなのか説明する気がないので、家政婦のオバハンなんか完全にサイコパスにしか見えない。少年だってかなりイカれてる。言いたいことだけ言うってのは気持よさそうだが、不可解さがこうも積もると観客だってストレスを感じます。
ベンツの多摩ナンバー(婆さんがベンツ!ブルジョワめ)が示すように舞台は日本なのだが、小人たちの名前は西洋風。外国から移民してきた流浪の民なのか、いや、どうせイキフン以上の意味なんかねえんだろ。小人たちは日本語で会話し、日本語の手紙を理解するが、生活様式はどこまでも西洋風で、時折ケルト風音楽なんか流れちゃう。正直言って、わたくしこれはかなり気持ち悪かった。『おもひでぽろぽろ』で柳葉敏郎の車でハンガリー民謡が流れた時の次くらいに気持ち悪かった。麦茶飲んで納豆食えや。日本人ならお茶漬けやろが。
「借りぐらし」といえば聞こえはいいが、サイコババアが言うように彼らは泥棒であり寄生虫である。この映画、そういう根本的な指摘にはまったく向き合わない。人類に劣らぬ知性がありながら人類に寄生しているこの種族の造形、明らかに歪んでいると思うな。連中なら独自に狩猟でも農耕でもできる筈だ。それなのに、その知性を駆使してやってることは角砂糖の窃盗。ボカー感心しませんな。感心しません。お前らそんなんだから滅びるんや!
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