[コメント] パリ20区、僕たちのクラス(2008/仏)
映画を見終った人むけのレビューです。
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いわゆる劇的なことは何も起きない。生徒が妊娠したり、暴力事件を起こしたりしないし、完全犯罪を目論んで人殺したりなんかもっとしない。そういうリアルな教育の現場の中に、対立と緊張のドラマをちゃんと見出してきているところが凄い。日本で言ったら、成瀬や小津に通ずる作風。私の中では近頃すっかり小津になぞらえるのが流行っちゃってんだけど、誰もいない教室を2カット重ねて終わる終わり方なんざ、まさにオヅ。
映像が雄弁に語るというか、例えばスレイマンの処遇を巡って評決が行われるシーンでは、アップで撮られた投票箱が皆の間をくるくる回される。ただそれだけのシーンなのに、目が釘付けにされてしまう。固唾を飲む、という感じに持っていくストーリー構成もうまいのだけど、この工夫、この画力。ふと、なんで俺こんな熱心に投票箱を見つめているのだろう?と思ったが、CGとか3Dなんて、目じゃないよな。
印象に残ったのは、教師側だけでなく生徒の側にさえ、公けの場では感情を爆発させてはいけない、ということについて過剰とも思えるコンセンサスがあって、そのために皆が多大な努力を払っているように見えること。
子供たちでいうと、教師とのやり取りでヒートアップしたスレイマンがキレそうになったとき、周囲の生徒らが「キレちゃ駄目、キレちゃ駄目」と一斉に説得しようとするシーンがあった。唐突からくる滑稽さも感じたけれど、とても切実なシーンだった。子供たちは、公権力や、学校や、大人たちといった、自分たちを押え付けようとするものへの反発心は隠さないけれど、同時にそれらから受けるメリットも知っていて、あるいはそれらのシステムからこぼれ落ちるデメリットに怖さを感じていて、子供たちなりに世界をリアルに認識している、そういう描写に思った。
教師の側は、確かに中には菜食主義者みたいに(失礼!)感情の起伏をどこかに置き忘れてきたのでは?と見える人物もいた。主人公なんかは十分に肉も食す人物に見えるわけだが、その感情をコントロールしようとする努力と、少なくともそれを(一定以上に)やりきる能力の高さは凄いと思った。私だったら、もっと前にキレていると、思わされた。
一人、始めの方で、職員室に戻ってきて不満をぶちまける教師がいた。「あいつらは動物園の動物だ。自分たちがそう望むなら、勝手に望むようになるがいい!」みたいなことを言っていた。個人的にはつい共感を覚えたが、彼の様子をハラハラ見守りながらも、口は挟まず、鎮まるのを待って見えた周囲の教師たちも、内心共感するものがあったのでは?と思うわけだが、いかがであろうか。感情を制御する能力は、決して生得のものでなく、努力や、鍛錬や、それこそ教育によって獲得されるものである、あるいはそれを大人の振る舞いとして映画が理想的に描き出している、と思ったのだが、いかがであろうか。
劇的な解決も、大いなる和解も訪れることなく、また日常が繰り返される。主人公や他の教師たちは、いったい生活のどこにメリハリをつけ、何を楽しみに生きているのだろう?と心配になった。部屋に帰ったら、ビールでも飲みながら(ワインか)、テレビでサッカーの試合でも観て、うっぷんを晴らしたりしているのだろうか? そんなことでもいいのだけれど。
80/100(10/08/07記)
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