[コメント] 悪人(2010/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
「相手が幸福になれば自分も幸せな思いになれる人を持て」と、娘を亡くした父親(柄本明)は説く。この父親にとっては娘(満島ひかり)がそうだった。母親に捨てられた孫を育て上げた祖母(樹木希林)にとっては、まさにその祐一(妻夫木聡)こそが最も大切な存在だっただろう。
そして、父親はその娘の不幸によって深い絶望の底へたたき落とされ、祖母は孫の衝動的な蛮行によって容赦なき世間の好奇にさらされる。「相手が幸福になれば自分も幸せな思いになれる人を持て」という思いは確かに正論だろう。しかし、その思いが強ければ強いほど、故意であれ偶然であれ相手に裏切られたときの傷は計り知れないほど深く痛ましいのだ。
それでも人は、人とのつながりを求める。例えば、佳乃(満島ひかり)のように自意識をたぎらせ、圭吾(岡田将生)のように虚勢で身を守りながら。あるいは、光代(深津絵里)のように無垢で無防備のまま、祐一(妻夫木聡)のように欲望と温もりの差さえ知らぬままに。みんな、人恋しさにさいなまれながら不器用にさまよう者たちだ。
祐一(妻夫木聡)の不幸は、物事が行き詰まると和解ではなく破壊を選択してしまうことだ。彼は身に降りかかる理不尽を振り払うかのように佳乃(満島ひかり)に手をかけ殺人者となった。そして、初めて手にした温もりの喪失の危機に混乱し、本当は最も守らなければならないはずの光代(深津絵里)との関係も衝動的に破壊してしまおうとする。
「相手が幸福になれば自分も幸せな思いになれる人」を、やっと持った光代(深津絵里)もまた祐一(妻夫木聡)の意識せざる裏切りに合ってしまった。世間から見れば祐一は人を殺したということにおいて「悪人」なのだろうが、彼の幸せを願い、それが自らの幸福へと結びつく者にとって、祐一はその思いを裏切り続けるという破壊衝動の持ち主であるという点においてこそ悲しい「悪人」なのである。
(評価:
)投票
このコメントを気に入った人達 (3 人) | [*] [*] [*] |
コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。