[コメント] エクスペンダブルズ(2010/米)
映画を見終った人むけのレビューです。
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『BANANA FISH』でホモソーシャルのなかにやおいと背反の友情を描いた吉田秋生が、北野武の『ソナチネ』をいやらしいと評したのを目にしたことがある。「うらやましい」という意味合いだった。
ホモソーシャルにしか芽生えない絆に対して、ときに女性は敏感だ。自分の嫁もそうだ。それが分かっていたので、『ロッキー・ザ・ファイナル』にも『ランボー4 最後の戦場』にもつきあわせながら、今回は一人で見ちゃおうかなと思っていたのだけれども、結局二人で見てしまった。はなから、一人で浸るのはまかりならんということだったのだと思う。
そして、案の定その話をされた。なんでも、大学時代の友人のなかにホモソー上位を公言したがる男がいたそうで、それなりにモテたのに男同士が一番と女性に対しても言うのだそうだ。そう言えば、自分の高校時代の友人にも そういう連中が少なくなかったことを思いだす。
前置きが長くなったが、自分にとって特別な映画作家・シルヴェスター・スタローンの新作は臆面もないホモソー映画だった。それは、80年代に消費され90年代にすたれ今や娯楽映画の最前線から遠ざけられた往年のアクション・スターたちを寄せ集めるにあたり、極めて正しい設定だったと思う。彼らがレジェンドであることを誇示するのに あえて高級感や偏差値を捻出しようとしないのは、さすがのバランス感覚だ。
なぜなら、彼らが自分たちを消費してきた作品と言うのは臆面もない中二病映画だったのだし、彼らを支持してきたのは しょうもない中二病患者たちだった。ともすれば彼ら自身が自己嫌悪しかねない彼らのキャリアをこそ、スタローンは肯定したいのだ。だから、この映画も中二病映画なのだ。クリント・イーストウッドになる気など、スタローンには毛頭ない。
そんなスタローンを嫁や自分が見てきたホモソー・マンセーたちといっしょくたにしたくないというエゴが、自分のなかにはまずある。というのも自分という人間が、ホモソー嫌いどころか友達なんて無理にいらないと思っているタチだからだ。不思議なのは、そういう自分にとっても、あのミッキー・ロークの酒場は神々しく見える。なぜなのかと思う。
ひとつ思うのは、映画監督スタローンはバーニー・ロスというキャラクターを演出しているし、映画俳優スタローンはバーニー・ロスというキャラクターを演じているという、ま、あたりまえっちゃあたりまえの事実だ。ロッキーのような誰からも愛され敵をも愛せる懐の男でもない。ランボーのように一人で生きていくことしかできない男でもない。中二病男・バーニー・ロスという男をだ。
スタローンは、ロッキーでも、ランボーでも、バーニーでもない。社交的で、優秀なビジネスマンで、今もセレブであり続けている、もうそれだけで演じてきたキャラクターたちに比べたらはなもちならない男である。つまりは汚れた世界で生きていくための自覚を持った人なのだ。ただ、彼は作家として、どういうキャラクターが美しいかを心得ている。
バーニーというキャラクターが美しいのは、中二病でいたくて中二病でいるわけじゃないという点だ。本当はこうじゃない生き方をしなきゃいけないんじゃないのかなと思っているから、使命に殉じる女性に感化され、愚かにも戦場に乗り込んでいく。これは、他のキャラクターたちにも言えることで、もっとましな生き方をしたいと願っているのに気がつくとそこにしか居場所がないのが集まっているから愛せるのだと思う。
正直言うと、そういう心の描写が後半もうちょっとあったら良かったのになと思った。
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