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[コメント] 苦役列車(2012/日)

「絶望」の甘い蜜。
おーい粗茶

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







ラストがないと映画としては辛いかも知れない。あえてでも、希望を語らなきゃいけない、という考え方もわかる。しかしこのラストって「やっぱ人間本当に追い詰められなきゃ何も始まらないんだよな」って、安易に消費されちゃうんじゃないだろうか?と思った。極端なことを言えば「絶望のあるやつはいいよなぁ、自分を変えられて」と、極端な状況におちいらないことを、自分を変えられないことの言い訳にしてしまうような結論にいっちゃうことの弊害のほうが多くないだろうか?

落ちこぼれが徹底的に勉強漬けになって東大合格を目指す「ドラゴン桜」とか、軍隊式ダイエットで結果が出せる「ビリー・ザ・ブートキャンプ」が流行った理由は、「自分も徹底的に追い詰められさえすればなんでも手に入る」っていう、「いつかは」という可能性を担保に、結局は何もしない現実逃避、誰かが自分を強引に理想郷に引っ張りあげてくれるのを待っている他力本願からヒットしたような気がしてならないのだ。

多くの人にとって、自分を変えていけるのは、まっさかさまにアパートのゴミ置き場に墜落するような、劇的な転機ではない。そういう人生ももちろんあるだろうけど、その先の再生を見込んで墜落する人間なんていない。自分を変えるきっかけのほとんどは、いつのまにか始めたことが、知らないうちに積もっていくような、もっと地味な一歩でしかないという、つまらない現実で、このラストってそのことから目を背ける効果のほうをより導き出してしまうのではないだろうか。

この映画の真骨頂は、チンピラに殴られ身ぐるみを剥がされた主人公が、それでもまだピチピチとした肉体を残されてしまっている恨めしさだと思う。主題歌で歌っているように「俺にとどめをさしてくれ」という叫びもむなしく輝く肉体。希望のない時代の若者にとって邪魔で仕方がないのが、生きようとしつづける元気ありあまる身体の悲喜劇。なぜ若者は「夢を持たないといけないのか」、それは単に若さを持て余すからだろう。

「三年後」のテロップのあと、もっとダメになった主人公が出てきた時は、感心と同時に確かにげんなりしたことも事実あった。だったら、あの日急に原稿に向かい出すんではなくて、書きかけの原稿を引っ張りだして、続きを書き始めてみるとか、そういうふうにして欲しかったかな。

(評価:★4)

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