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[コメント] おおかみこどもの雨と雪(2012/日)

ファンタジーの二重構造に、妙に生々しいリアリズムが絡み込むことで、ヒロインは理想の偶像と化す。偶像であるが故、その”あり得ない”強さが感動を呼び起こす。
緑雨

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







おおかみこどもの雨と雪』はファンタジーである。そんなの当たり前だ。狼と人間、双方の血が流れる一族、という時点でこれがファンタジーであることは大前提である。

しかしユニークなのは、これがファンタジーとしての二重構造を持っているということ。メタ的なファンタジーの体現者として立ち現れるのが、ヒロイン・花である。

そもそも彼女は不可思議な存在だ。一人暮らしの女子大生だが、父親がすでに他界しているということを除き、そのプロフィールは明らかにされない。学生の身で妊娠し子を産み、シングルマザーとなり幼な児を抱えて山奥に移住する。その過程に生じるべき肉親の介在や葛藤は省略されている。

おおかみおとこの夫が川に浮かびゴミ収集車で回収されるという、これ以上ないショッキングな体験を眼前にしながら、その嘆きは長続きせず、すぐに気を取り直して幼な児を育てることに邁進する。我が子がおおかみこどもであるという秘密を隠しながら、数々の困難に遭いながら、けっして挫けることなく前向きさを失うことなく、常にへらへらと笑いながら、自学自習で生き抜いていく。

なんなのこの強さ。

ここまで強い人間、現実世界には存在しない。生身の人間は、困難にぶち当たれば迷い、嘆き、逃げる。それが人間ってもんだ。要するにこの花って女性は、現実に生きる我々が到達し得ない理想の偶像なのだ。到達し得ない崇高な存在。崇高だからこそ、その生き様に憧憬し感動が生まれる。

そしてこのメタ的なファンタジー構造を支えるのが、一方でディテールまで子細に作り込まれたリアリティである。郊外の商店街、本棚の書籍のラインアップ、廃屋同然の日本家屋がビフォーアフターする様、過疎地の小学校やコミュニティの在り方。そして、騒音に憤る隣人や押し入ろうとする社会福祉事務所の調査員など。これらのリアリティが生々しいだけに、それを乗り越えていく花の非現実的な強さが際立つのである。

(評価:★4)

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このコメントを気に入った人達 (3 人)死ぬまでシネマ[*] 煽尼采 chokobo[*]

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