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[コメント] 人生の特等席(2012/米)

「父娘の衝突と和解を描いた映画」という乱暴な要約を拒めないほど簡単明瞭な物語を持ったロバート・ロレンツ人生の特等席』のおよそ第一回監督作品に似つかわしくない恐るべき豪胆さとは、その衝突の物語を、字義通りすなわち物理的な意味での「衝突」を主たるモティーフに据えて語る映画設計にある。
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**ネタバレ注意**
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たとえばクリント・イーストウッド演じるアトランタ・ブレーブスのスカウトマン、ガス・ロベルの視力の衰えはどのように演出されているか。もちろんイーストウッドのPOV中央部の焦点をボケさせて「見えない」ことを直接的に表現したカットもあるにはあるが、より印象的なのは彼が目測を誤って家具にぶつかったり、自動車をガレージにぶつけたりする箇所だろう。『人生の特等席』における「衝突」はまずこのように、イーストウッドにとって忌むべき細部として導入される。

しかし、そもそも、どうしてこの普遍的な「父娘」の物語が「野球」を題材としなければならなかったのか(父の職業がメジャーリーグのスカウトマンでなくとも同様の物語を語ることはできるはずだ)。まさか『マネーボール』に異議を唱えるためだけではあるまい。ここでの論旨に引きつけて答えるならば、(実を云えば球技全般がそうなのだが、とりわけ)野球が「衝突」の競技であるから、となるだろう。

ところで、野球におけるボールとバット、またボールとグラブもそうであるように、それらの衝突はほとんど不可避的に「音」を生じさせる。ベテランスカウトのイーストウッドはたとえ視力が衰えようとも、その衝突音を聴き分けることによって投手や打者の良否を判断できるらしい。娘のエイミー・アダムスもまた、モテル一家の息子でピーナツ売りの青年ジェイ・ギャロウェイの投球がミットに収まる音を聴くことによって彼の素質を見抜く。云うまでもなくこれが物語にハッピー・エンディングをもたらすのだから、その衝突音を「福音」と呼ぶことはいささか大袈裟であるにしても、忌むべき細部として現われ始めたはずの「衝突」は少なくともこの映画にとって両義的である。

あるいは、より正確を期して云い直せば、「衝突」そのものは正負いずれの価値も持っていない。父娘の衝突がなければ和解もまたありえなかったように、あくまでも問題は衝突に対する振舞いである。ここでも生きることに不器用ないかにもイーストウッド的なキャラクタは、そのような人生の技術とでも呼ぶべき作法を逆説的に体現している。

 牽強の謗りを恐れずに付け加えれば、アダムスが披露する達人級腕前の「ビリヤード」、アダムスとジャスティン・ティンバーレイクが床を強く踏み鳴らして踊る「クロッギング」もまた「衝突」である。しかしここで衝突の実例を加えることよりも強調したいのは、映画におけるそれらの「ささやかな過剰」とでも云うべき収まり方だ。つまり、ビリヤードもクロッギングも物語展開にとって必ずしも不可欠な細部ではないが、キャラクタの性格造型に資しつつ、一個のシーンとして他で代替しがたい魅力を持っている。とりわけクロッギングの幸福感は近年のアメリカ映画のダンスシーンでも随一だろう。西部劇から伝記やSFまで様々なジャンルを踏破してきたイーストウッドをアメリカ映画の本流と見做そうと試みると、その作品歴がダンスシーンを欠いていることに少々気後れを覚えてしまう(これはスティーヴン・スピルバーグにも該当する)。自らに欠けたダンスシーンをイーストウッドはかつてマイケル・チミノに託していたのかもしれない、などと妄想を逞しくしがちなのだけれども、ともかく、建前上は演出作でもなければ出演シーンでもないとは云え、イーストウッドのフィルモグラフィにこのようなすばらしいダンスシーンが添えられたことはファンにとってまことに喜ばしい。

 イーストウッドが娘を遠ざけるようになったきっかけ、すなわち娘が男に乱暴されかけるという忌まわしき過去のフラッシュバックに紛れている若きイーストウッドが男をぶちのめすカットが「カメラに向かって殴りかかる」通称イーストウッド・パンチとして撮られている(『ファイヤーフォックス』からの引用らしい)のには、シリアスな場面にもかかわらず笑みがこぼれかけてしまう。

 中盤、アダムスがイーストウッドの投球を見事に打ち返すシーンでどういうわけか涙を抑えられない。『幸せの始まりは』オープニングもそうであったように、美しい女性が打球をカッ飛ばして累走しているシーンはどうしようもなく私の涙腺を刺激してしまうらしい。

(評価:★4)

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