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[コメント] 真昼の決闘(1952/米)

やたら時計のカットが出てきて興ざめ。主人公はクーパーじゃなくて時計じゃないか。
ゑぎ

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







 ホークスやウェインが怒ったのは(あるいは『リオ・ブラボー』を作る気にさせたのは)、情けない保安官の言動なのだと思うのだが、私のこの映画に対する感想は単純に、「やたら時計のカットが出てきて興ざめ」に尽きる。

 製作者のスタンリー・クレイマーによると、ジンネマンが撮ったラブ・シーンを編集者のエルモ・ウィリアムスがばっさり削ってシャープな映画にしたという評価になるようだが...。

 という訳で、時計の描き方をヘンリー・キングの『拳銃王』と比較してみよう。

 『拳銃王』と『真昼の決闘』はいずれも主人公がその仇討ちでやってくる敵を待ち、終始時間を気にしているというシチュエーションに共通点がある。2つの作品の差異を簡単に言えば、『拳銃王』は、時計を見せない演出、グレゴリー・ペックが酒場の壁掛け時計へ何度も何度も視線を送る画面を出しながら、その時計を殆ど写さないで彼の焦燥感を映画に定着させていっているのに対して、『真昼の決闘』では、主人公はクーパーじゃなくて時計じゃないかと思うくらい時計の画面が多い。

 ま、勿論、ある映画を好きになれるかどうかなんて個人の嗜好の問題なんだけど、主人公の焦りを視線の演出で見事に表した、あるいは時間経過を照明(太陽光線の移り変わり)で表した『拳銃王』に比べるまでもなく、時計の画面ばかり出る『真昼の決闘』は全く平板な映画だと私には思えてしまう。

(評価:★2)

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