[コメント] 少年(1969/日)
アンドロメダ星雲からやって来た宇宙人は「正義の味方」である。つまり正義を行なう者の手助けをし、悪人や怪獣を倒すためにこの星に来ているのだ。だが、それを自分と重ね合わせて見る少年が「正義の人」が人を死に至らしめるのを見た時、「正義の味方」はどうすればいいのだろう?
**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。
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少年は「正義の味方」でありたかった。だから「正しい」当たり屋をしている両親の味方をした。時には逃げ出しもしたが、そして不正義の行為を見過ごすこともあったが、基本的に「味方」であり続けたかったのだ。
だが、自分が雪道でクルマに撥ねられようとした時、クルマはスリップして中にいた娘は死んでしまう。彼のアイデンティティはもろくも崩れ去る。
別に大島渚は、初期『ウルトラマン』シリーズに頻出するこのジレンマを前面に出した諸作品を、観た上でこの作品を撮ったわけではあるまい。むしろ大島なりのアンチテーゼなのだろう。だが、石堂淑朗や佐々木守らウルトラシリーズに深く関わった脚本家たちと仕事をしている大島は、あるいは彼らのため息を聞いてきたその結果を作品に活かしたのかもしれない…そんな気がする。
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