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[コメント] インターステラー(2014/米)

スピルバーグ+ノーラン兄弟=
Orpheus

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







スピルバーグと脚本家ジョナサン・ノーランが制作を進めていたプロジェクトを兄のクリストファー・ノーランが引受けて監督したという経緯があるだけに、スピルバーグ的な家族ドラマの要素が多く残っていた作品だったが、3時間の尺の大半は状況描写に費やされ、ドラマ部分の掘り下げは不十分だと感じた。本作についてのインタビューでクリストファー・ノーランが「このジャンルの金字塔である『2001年宇宙の旅』に敬意を払いつつ、'80年代頃のスピルバーグルーカスの作品のように家族全員で楽しめるブロックバスター映画にしたかった」といみじくも語っている通り、旧インド空軍の偵察用ドローンを追いかけてトウモロコシ畑を車で疾走したり、父クーパーと娘マーフが重力の指し示す座標をめざして荒地を走破した挙句に謎の施設で捕まったり、年老いたマーフが父と再開する際に親族一同に囲まれる等のシチュエーションはいかにもスピルバーグが好みそうなもので、当初の脚本がそのまま流用された可能性は高い(もしスピルバーグが監督を降りなかったら、『宇宙戦争』と『AI』を足して2で割ったような作品になっていたことだろう)。しかし、そこは『メメント』や『インセプション』で観客を煙に巻き、『バットマン』3部作で今日日のヒーローの憂鬱を描いたノーラン兄弟である。これまでの作品を貫いてきたノワール的な醒めた感性がスピルバーグ風の楽観的家族ドラマと馴染むはずもない。目線の高さからしてまず異なるのだ。スピルバーグは映画の中で(少なくとも'90年代の初期までの作品では)小さき者や弱き者の視点から世界を捉えようとしたが、ノーラン兄弟の描く主人公は常にインテリジェントで、ホワイトカラー的な(あるいはDCコミック的な)目線が感じられ、両者はいわば水と油の関係だ。それでも「家族のために」「家族を残してでも」という主人公クーパーの心情や覚悟については、マシュー・マコノヒーの迫真の演技もあってジワリと伝わってくるものがあったが、クーパーの二人の子供に対する異なった愛情表現、水の惑星からの帰還を待っていた黒人の扱い、意見の対立だけのクーパーとアメリア、そして「マン」博士の画一的な悪人キャラなどの雑すぎる描き方を見ると、クリストファー・ノーランの関心が人間ドラマの深掘りより、時間軸の操作やモンタージュ作りに向いていたことは明らかだ。もちろん、デジタル撮影への移行が進む中であえてアナログのフィルムの質感や実写撮影にこだわるノーランの姿勢は評価したいが、そうであるからこそ、人類の命運をかけたシリアスな物語を描くにあたって、奇を衒った絵づくりばかりでなく、人を描くドラマ部分の掘り下げに注力して欲しかった(もちろん、スピルバーグとは違うアプローチで)。ノーラン兄弟と近い知的なクラスター(科学者キップ・ソーン)の全面監修を得て構築された「ハードSF的な枠組み」のなかに、ハンス・ジマーの《ミクロなものとマクロなものを行き来する》音楽を凝固剤として織り混ぜてはみたものの、そのまま残されたと思しきスピルバーグ的な「家族の情」が漫然と撮影されているために、物語は映画的真実という特異点に達することなく、用意されたシナリオの地表面をなぞるばかりで、時空的な辻褄だけを合わせて幕を閉じてしまう。確かに、ワームホール突入時のスペクタキュラーな映像美や、トラックで家を去るクーパーの表情とサターン型ロケットの打ち上げを重ねたモンタージュ等には魅了されるものがあったが、「語り手とその衣装が合っていない、ちぐはぐな映画」という印象は最後まで拭えないまま、大半の観客は劇中のクーパーの息子同様、釈然としない面持ちのまま劇場(物語)から追い出されてしまうことだろう。「家族映画というとアニメーションばかりになってしまった今、80年代のように家族で楽しめるブロックバスター映画を実写で復活させたい」と語るクリストファー・ノーランだが、9.11後にそのようなことが幻想だと一番分かっているのは、『ダークナイト』を撮ったノーランその人自身ではないだろうか。ノーランにはJ・J・エイブラムスのように昔のスピルバーグルーカス的な物語を最新の映像で復刻するのではなく、むしろそうした要素をすべて捨て去ったストイックな映画を撮ってほしかった。 とはいえ、宇宙開発競争の時代に科学の先に何があるのかを大胆に想像した『2001年宇宙の旅』や、冷戦末期に自分と異なるものへの恐れを乗り越え対話する可能性を信じた『未知との遭遇』といった名作が、それぞれの時代の中で産み落とされた「必然」だったとすれば、科学技術が進んだ21世紀になってもテロや汚染、食糧危機や貧困といった諸問題をほとんど解決できずにいる人類に未来があるのかを問おうとした本作もまた、今という時代の「必然」の所産であることに違いはない。重力の謎を解くブラックホール特異点のデータが手に入らない以上「プランA」は実現不可能と考えていたブラント教授がそれを秘して引用していたディラン・トマスの詩には「怒り、抵抗してもやがて迫り来る死は追い払うことはできない」という深い諦観が根底にあったと思うが、スピルバーグ的な楽観主義に縛られてしまったノーラン兄弟は「プランA」と「プランB」を両立させてしまうことで、この物語をトマスの詩の表層を掬っただけのお伽話に自ら貶めてしまったように思われる。

Do not go gentle into that good night,

Old age should burn and rave at close of day,

Rage, rage against the dying of the light.

(Dylan Thomas)

(評価:★4)

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