[コメント] 流れる(1956/日)
いつかエラくなってウチで女中さんを雇えるようになったら、やっぱり「お春さん」と呼ぶことにしよう。
廃れゆく世界で、上手く立ち回り生き延びる者と、立ち回れずに取り残される者。立ち回れる者こそ、裏も表も知りつくしたその世界の代表者なのだろうが、取り残される者の方に案外美が宿っていたりする。『流れる』はそういう世界を描いた作品だと思う。栗島すみ子や田中絹代、中北千枝子や賀原夏子らと比べたときの山田五十鈴の美しさには、まさにそういった風情がある。この意味でも、要石的な存在感を発揮していた栗島すみ子の起用が、成功の大きな要因だろう。こういった女優陣のコラボレーションは、さすが成瀬巳喜男というところだ。
そんな中で、そういったこととは関係なしに、岡田茉莉子 は若くて綺麗だったし、杉村春子はお婆さんだった。岡田の、若さゆえの活力ともとれる魅力は、玄人の世界に身を置きながら素人の清潔さを合わせ持って、まさにこの世界を内側から脅かす存在として機能していた。杉村春子に関して言うと、まったく本職にしか見えなかった。
高峰秀子はこの作品では添え物的な存在だったが、「男を知ってるってことがどうして自慢になるのよ!」と憤ってみせるシーンなんかは上手いもんだ。
80/100(07/06/24記)
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