[コメント] の・ようなもの のようなもの(2015/日)
35年前の、あの不器用で要領の悪い青年(伊藤克信)は、世間ずれなど微塵もない白髪まじりの無精ひげで腹の出た優しい中年男になっていた。男が引き継いだのは森田芳光が描き続けた「世間からちょっとはみ出した者」を見つめるときの優しいまなざしだ。
かつて不器用だが懸命に「何者かになろうとした男」は、全身全霊、気負いのない「優しい男」になっていいた。師匠から芸を盗むという落語家の修行は、自分を無にして先駆者の「生き方」そのものを体得することなのではないだろうか。
半熟者に優しかった映画作家、森田芳光が疾走しながら握っていた「バトン」は、洗練された真打ち落語家ならぬ、ポジティブな中年落伍者となった志ん魚(伊藤克信)によって成就され、再び悩める若者のエネルギーになるべく志ん田(松山ケンイチ)に引き継がれた。
快作『の・ようなもの』(1981)に挑むというような無謀な野心など端から持たず、肩の力を抜いてふわりと先達の「神髄」を引き継いでみせたつつましい佳作。
(評価:
)投票
このコメントを気に入った人達 (3 人) | [*] [*] [*] |
コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。