[コメント] スポットライト 世紀のスクープ(2015/米)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
手に汗握る化かし合いのスクープ合戦、立ちはだかる巨大権力の抵抗などが派手な演出で描かれるのかという想像を完全に裏切られる。
巨悪を暴くとか、チームの勝利とかを観たくてよだれ垂らして構えていると虚を突かれる。
癖のないキャラクターと、あまりにも平淡な物語、だからこそそこに宿る、人々の生活の重さ。
何かを壊して、何かを得るという行為の地道な高潔さ。
画もいい。
画になるものを撮っているのではなく、撮る者の目がいいのだ。
記者たちが取材で歩き回る、ボストンの住宅街の荒涼とした生活の生々しさを平気で映す、その目がいいのだと思う。
暴く方も、暴かれる方も、ただの人間である。
膨大な資料との格闘。セルが次第に埋まっていくだけで、ああ、映画的だと思わせる。
記者たちそれぞれからヒロイズムを払拭して些細なワンカットで人間臭さを見せてくれる。
(だからチームの連帯という面も見どころではないと感じる。)
ジョギングや、スープを飲む仕草、冷蔵庫に貼られた注意書き、敬虔な信者である祖母との食事、社交場での所在無げな局長と、その静かな熱意、または、印刷工場から出荷されるトラックをわざわざ見に来るマイケル・キートン。
だがなんといっても、やはりあのスマートな幕引きがとてつもなく好き。
すっぱ抜いた当日、日曜日の朝の閑散としたオフィス。「いい記事ね」「ありがとう」からの、がんがん鳴り止まない電話。
この抑制が効いた、ささやかなカタルシス。
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