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[コメント] FAKE(2016/日)

成程、確かにこの映画は俎上の諸サブジェクトの真偽判定を保留の状態に至らしめる。ここでは真偽をめぐる問い自体が無効だと云ってもよい。真偽の境はグラデーションである、などと森達也好みの云い方もあるだろう。それでもなおこの映画はある一事を避けがたく明証する。それすなわち森の演出力である。
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いかなる方法で観客からの好感を作中人物に獲得させるかは、それが実写劇映画であれアニメーションであれドキュメンタリであれ、多くの演出家にとって常に最大級の関心事であるに違いない。ゆえに、その「方法」はこれまで無数に案出され、いくつかはその普遍性・汎用性のために定式化し、世界中で採用されていることだろう。一方で、その新規案出は現在進行形で絶え間なく続けられているが、優れて有効かつ新奇なそれにお目にかかれる機会にはそうそう恵まれない。このような文脈にあって、『FAKE』がたとえば「豆乳の暴飲」(!)によって佐村河内守への好感を発生させてしまうなどは、「このような方法がありえたのか!」というまったく驚くべき発明的演出である(ここで私が「演出」の語をして云いたいのは「佐村河内が実生活では豆乳の暴飲などしたことがないにもかかわらず、森がカメラレンズの前でそれをするように指示した」ということでは当然ありません。「その現場に立ち会い、撮り逃がすことなく、また完成品としての映画からその場面をオミットしなかった」という意味での演出です。したがって、この稿に限りませんが、私の云う演出とは「作品の創造過程において、映画そのものに何らかの作用を及ぼした演出家の振舞い」程度の意味で、おそらく一般に用いられるよりも広い語義を想定しています)。

舞台がほぼ佐村河内の自宅内に限られることの閉塞感、およびそれによって育まれるこの映画に固有の情調については多くの観客が指摘するところだろうが(もっとも、撮影者としての森がいわゆる「画変わり」を望んでいたことは、彼自身が作品公開後に幾度も公言していますけれども。一度だけ訪れる夫妻の外出シーンを映画の一貫性を損なうものと見るか、効果的な例外と見るかは見解の割れるところでしょう。私は後者の立場を取ります)、ここではそれに関連して次も記しておきたい。この舞台において外光はほとんど常に遮断され、室内照明(蛍光灯)の光量は一定かつ抑え目に保たれる。そのために当該シーンは昼夜の別すら不明の時空間として成立してしまう。この閉塞感という以上に迷宮感とでも呼ぶべき触感も特筆に価するが、翻って玄関の「扉」やベランダに至る「窓」が開かれることで画面の感情が更新されるという事態は、それが伝統的な「映画」の演出だからこそ為せる業である。

伝統的な演出、という点では「ねこ」も忘れてはならないだろう。これは何も私がねこ大好き人間だから云うのではない。演出家の意図や希望を忖度しない動物なり幼子なりの挙動を取り込むことで画面造型の強化を図るのは、それこそ一八九五年から連綿と受け継がれている映画演出の伝統である(とは云え、たとえば想田和弘のようにねこ撮りをトレードマークにまでされてしまうとさすがに少々の反発心も生じてしまうものですが)。

「音」についてはどうだろうか。私見では、この種のドキュメンタリにあって演出家の作為が最も強力に発揮されながら最も巧妙に隠されるのは、音の演出に関してである。エンディング・タイトルの後に訪れるラストカットで、「まだ私に嘘をついていることはないか」という森の問いに佐村河内は沈黙し、何かを云いかけたように見えたその瞬間に映画は幕を閉じる。多くの観客にとって印象深いだろうこのカットが成功していたとして、それは「佐村河内が何と返答するのか」という物語の次元に属する興味や、終幕のタイミングの見事さ(私にとっては厭らしさ)のためばかりではないはずだ。すなわち、そこにおけるノイズ=列車の走行音である。佐村河内の沈黙を挑発するかのように徐々に増大する列車の走行音がこのカットのスリルの核心を成す。しかし、果たしてこの音は同録の音源に由来するものなのだろうか。要するに、このカットとは異なる時間・空間で録られた音素材が編集段階で差し込まれたに過ぎないのではないか。むろんそれを明らかにする術を観客は誰ひとり持ちえないが、仮にそうであれば、それは森の音響演出力の確かさを証明するものにほかならない。もしそうでなくとも、つまり列車ノイズが本当にラストカットと同録の音だったとしても、「完成品としての映画にその音を残した」という点で、やはりそれは優れた(多分に「映画的幸運」の意も含んだところの)演出力の証と見做してしかるべきだろう。

(評価:★4)

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