[コメント] シン・ゴジラ(2016/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
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庵野は模倣の作家だと思われている。あるいは自分でもそう考えている。それはほとんど侮蔑のような意味で使われるのだが、私はこれ以上ない美徳であると思っている。なぜか。多くの場合、模倣とは「影響を受ける」という意味で使われる。しかし私は庵野の模倣をそれ以上のものと捉えている。アリストテレスは芸術とは自然の模倣(ミメーシス)だと書いた。庵野の模倣はこのミメーシス的模倣に近い。出来事を模倣することはできない。ただ記録された出来事を模倣することはできる。
多くの映画は歴史的出来事を映像で再現しようとして失敗する。当時の町並みなどをセットで再現したり、時代考証をしっかりしたり、そんなものは出来事とは何の関係もないとも知らずに。素晴らしいセットの前で深い人間的厚みを持った俳優が演技をする。いいだろう。それなりに人々を楽しませたり感動させたりするのかもしれない。だがそれでは足りないのだ。庵野は出来事そのものを記録できるタイプの作家ではない。あくまで既存の映像を再現し、それをリミックスするだけの作家だ。
庵野のアニメーター時代の作品を見ればわかる。すべてが実際に起こった記録映像の模倣なのだ。そしてここからが重要なのだが、庵野はその模倣にほんの少しの変更を付け加える。福島第一原発所をゴジラに書き換えたのだ。
ゴジラは福島第一原発所であると誰もが思ってしまうのは庵野の記録映像の模倣という作家性によるところが大きい。物語ではなく映像でもって隠喩的表現を行うこと。物語という形で我々は出来事を再現しようとする。それは癒しであり、忘却であり、書き換えであり、実際生きていくために必要なことだ。しかし誰かが記録せねばならない。それは人々が生きていくことに対する妨害であるかもしれない。
福島第一原発所をゴジラに置き換えること。この僅かな変更の許しを請うこと。この選択を私は支持したい。
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